平成28年度贈呈式

 去る3月16日(木)午前11時30分から霞が関ビル35階の霞ヶ関東海倶楽部(東京・霞が関)において、平成28年度の公益財団法人大山健康財団の贈呈式が開催され、第43回学術研究助成金並びに第43回大山健康財団賞及び大山激励賞が贈呈されました。

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式次第
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贈呈式会場風景

 贈呈式は、本財団竹内勤理事長の開会の挨拶で始まり、続いて理事長より学術研究助成金並びに大山健康財団賞、大山激励賞の選考経過が報告されました。

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開会の挨拶をされる竹内勤理事長
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司会の神谷茂専務理事

平成28年度第43回学術研究助成金は、62件の応募申請の中から選考委員会で厳正審査の結果、特に優れた8件の研究課題に対し学術研究助成金各100万円を贈呈することに決定したもので、竹内理事長より8名の受贈者に学術研究助成金総額800万円が贈呈されました。
平成28年度の第43回大山健康財団賞については4件、大山激励賞には3件のそれぞれ候補者の推薦があり、選考委員会で厳正なる審査・選考の結果、大山健康財団賞には「永年WHOにおいて、顧みられない熱帯病の一つであるリンパ系フィラリア症の制圧、撲滅に尽力された功績」が高く評価された一盛和世氏が受賞者に決定し、大山激励賞には「アフリカのニジェール共和国において日本の伝統のある置き薬をビジネスモデルとした活動を続けられ、セルフメディケーションに多大の貢献をされた功績」が高く評価された町井恵理氏が受賞者に決定したもので、竹内理事長より大山健康財団賞を受賞された一盛和世氏には賞状、記念メダル及び副賞100万円が、大山激励賞を受賞された町井恵理氏には賞状と副賞50万円が贈呈されました。

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学術研究助成金受贈者
代表挨拶の岩脇隆夫氏
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学術研究助成金を
受けられた先生方

      
学術研究助成金受贈者を代表して挨拶された岩脇隆夫氏は、「近年は健康に関する重要な研究のためであっても、経済事情は大変厳しく思い通りになることは殆どないが、そのような中にあって貴財団より貴重な資金の援助を受けられることはこの上ない喜びである。と同時に選考委員の先生方や貴財団関係者の皆さまからの大きな期待にしっかりと応えていきたい。」と喜びの言葉と今後の抱負を述べられました。

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大山健康財団賞を受賞し
挨拶される一盛和世氏
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大山健康財団賞受賞者の
一 盛 和 世 氏

 大山健康財団賞を受賞された一盛和世氏は、「大山健康財団賞をいただきとてもうれしく光栄に思う。竹内理事長はじめ財団の関係者の先生方、また、今日ここにいらしてくださった方々にお礼を申し上げる。また、これまで支えてくださった皆様に心から感謝申し上げる。私は長年、海外生活をしてきたが、住んでいた国の多くは熱帯地で、日本人のあまりいない国々だった。そこで行ってきた仕事は顧みられない熱帯病の対策で、顧みられない病気すなわち顧みられない人々の病気である。その対策というのもまた顧みられない仕事であった。それにも拘わらず、今日このような晴れがましい賞をいただき幸せに思うと同時に感激している。これを励みに、これからも一生懸命、次のステップへチャレンジして行く。いただいた賞は次の世代の、特に女性を応援できるようなことに大切に使わせていただきたいと思う。」と支援者への感謝の言葉と今後への決意を述べられました。

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大山激励賞を受賞し
挨拶される町井恵理氏

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大山激励賞受賞者の
町 井 恵 理 氏 

 大山激励賞を受賞された町井恵理氏は、「大山激励賞という貴重な賞をいただき感謝している。私としては、この選んでいただいた理由が凄く嬉しく、今後ともSDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)に沿って、日本の伝統のある置き薬をビジネスモデルとした活動を続けて行く。私はアフリカの丁度ど真ん中の砂漠の地域であるニジェール共和国という本当に薬とかも末端までなかなか行き届かない地域で、それをどうすればいいのかということをずっと、日本に帰国しても考えていた。そのうち経営大学院(MBA)で100個位ビジネスモデルを考え、その中で出てきたのが日本の伝統のある富山の置き薬であった。このモデルが何故いいかというと、目の前にあるのでどういう風に自分達にセルフメディケーションをして行くかというところが凄く、ただ置くだけではなく、その先に自分達でどうやって行こうかというところがあるというのが凄いモデルだなと感じている。
 私がAfriMedicoを立ち上げたのが丁度2年前であるが、日本の文化をアフリカに持って行くというところで、やはりなかなか難しいところが多々あって、アフリカ人ののんびりさ故になかなか先に進まなかったりとかいった困難さが山ほどあった。そんな中で2年間やってきて少しずつではあるが形に出来つつあるというところで、挫けそうな中だったが、この賞を貰って元気をいただいた。今は色んな理由でニジェールでの活動ができなくなってきたので、現在、タンザニアの方で活動をスタートしている。アフリカでも世界でも色んなところでこういった薬が届いていない地域というのが沢山あると思うので、そういった所にどんどん活動を拡げて行けたらと考えている。」と喜びの言葉と今後の抱負を述べられました。

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(後列左より)岩脇隆夫 髙田健介 保科斉生 吉川宗一郎 加藤大智 阪口義彦
(前列左より)        町井恵理 一盛和世   の各氏           

贈呈式終了後、大山健康財団賞を受賞された一盛和世氏による『記念講演』が行われました。

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大山健康財団賞受賞者一盛和世氏による『記念講演』

 『記念講演』の中で一盛氏は、「今日のお話のタイトルを『熱帯病との戦い』ということにした。私は殆どの人生を熱帯病との戦いに使って来た。フィラリアとの出会いは、卒論のために東京大学医科学研究所の佐々学先生にお会いしてからになるが、これで私の人生は決まってしまったかなと思っている。ちょうどその頃(1970年代の後半)日本がフィラリアを無くそうとエキサイトしていたことを覚えている。実際にフィラリアのあるところは一体どんなものか見たいと思いJICAの青年海外協力隊で行き、そこで初めて海外生活に文化そして熱帯の風というものを感じて、そこで虜になってしまった。この時も単なるボランティアだったが、国のフィラリア対策に関わった。そこで会ったのが実は人ではなくポリネシアの蚊に出会い、実は夢中になった。これがその後のずっと仕事を続けて行く時のモチベーションになったかと思う。
 日本では1970年代の後半にはもうフィラリアは無くなったが、日本でも平安時代のお姫様の蒔絵や葛飾北斎の漫画絵などからフィラリアがあったことが窺える。フィラリアは顧みられない熱帯病の一つで、フィラリアという糸状虫が原因の蚊が媒介する昆虫媒介寄生虫で、リンパ系の機能障害を起こす象皮病のような病気を引き起こす。それで、太平洋地区からフィラリアを無くしてしまおうということで、1999年に太平洋全部合わせて22カ国、地域があるが、それに一緒にやろうじゃないかというので、私がリンパ系フィラリア症の制圧プログラム(PacELF)というのを立ち上げた。
 二つの薬を混合して、非常に小さい2歳児未満の人と妊婦を除く全人口に配る。それを年1回、5年間続ける。これはMass Drug Administration(MDA)という薬剤集団投与である。世界ではいまだに73ヵ国の約14億人に感染のリスクがあって、1.2億人が感染していると言われている。日本の人口と同じ数である。大変大きな病気にも拘らず顧みられないという名前がついてしまうくらい顧みられていなかったという病気であった。それを何とかしようというので世界中が1つの目標を決めた。1997年に世界保健総会でこの病気を制圧しようという決議が出されて、WHOにそういうことができるプログラムを作りなさいということで2000年にこのプログラムが始まった。目標は2020年までにフィラリアを無くそうという、東京オリンピックと同じ年だけども、あと3年しかない。
 ここで、その当時作ったガイドラインがあるが、これが歴代の世界フィラリア症制圧計画の統括官で私は実は4代目になる。この過去の方達がこれを立ち上げてガイドラインも作ってくれたが、私が丁度行った時(2009年)というのは、2000年から始まって2020年のプログラムの丁度真ん中だった。どんどんMDAとしての薬配りが行われたが、2009年、実は終わり方が分からなかった。どうやって終わったらいいのか、どうやって何を基準に終わらせたらいいのというのが分からなくて、2009年から行った私の役目は何だったかというと、このガイドラインを作ったことだと思っている。この終わりを示すということをした。このガイドラインを作ったことによってこの制圧計画が終わることができるようになって来た。まさしく終わりの始まりが始まったと思っている。それを世界中の73ヵ国のマネージャーの方達に見せて広めた。73ヵ国のうち60ヵ国でMDA、この薬配りが始まって、しかも19カ国でもう終わっている。素晴らしいと思う。
 今までで10億人に薬を配ってきているが、これは地球人口の上で7人に1人が薬を飲んでいるということになる。日本の人達は恐らく誰も飲んだことがない。熱帯地から来た留学生の方とか色々と聞くと多分このことは良く知っているかと思う。
 少し薬の話をすると、アルベンダゾール、イベルメクチン:これは大村智先生がこの間ノーベル賞をもらった薬だけども、ジエチルカルバマジン(DEC)と合わせこの3剤うち2剤を混合で使うが、いずれも製薬会社(GSK、メルク社、エーザイ)から無償で提供されている。実はMDAが終わっている国が19か国ある。そのうち6か国で制圧の証明が出された。初めてである。世界で初めてWHOが制圧を承認した。そのうちの3カ国がパシフィックの国である。
 この写真はマーガレット・チャンとバヌアツのMinisterが写っているとこで、もう一人Regional Directorも一緒であるがこの制圧の盾を受取っている所である。とてもとても嬉しく思う。実はバヌアツというのは私が行った時は誰もフィラリアを知らなかった。それを先ず病気だというところから始めて、20年間でちゃんとやればこうやって終わるところまで行けるということである。
 それから、WHO本部では作戦会議の指導をして、指揮者としてフィラリア症制圧対策を地球規模の公共事業として展開して行くという立場でやって来た。そして宇宙人から『人類は素敵、助け合う人達、地球はなんて美しい星だろう、いいね!』ということを言って貰いたいと思って仕事をしてきただけである。
 ここで、私の思いをお話しさせていただきたい。そうは言っても、フィラリアという生物種を滅ぼすということをいつも考えて来た。どこかでやっぱり、気も心も痛いところもある。人類はフィラリアと戦う。この種を一つ無くしてしまおうということをやっているということである。私たちは種の多様性、絶滅危惧種なんていう言葉も知っているし、地球は色々な種類の生物の繋がりで奇跡的に成り立っているということも知っている。でも戦います。私は戦ってきた。人類を救えるのは人類だけと割り切って覚悟を決めて、私のヒューマニティーを信じて戦って来た。ただ与えられた時間、与えられた力を一生懸命尽くして真面目に取り組んで来た積りである。それによってフィラリアに御免なさいという気持ちだった。やはりこのフィラリアという虫がこの地球上に生きていたということを無くす者として残していかなくてはいけないと思う。それも私の使命だと思う。今、記録に残すということを長崎大学に部屋を貰って、こういう本を作ったり、論文にしたりして、そういうことを今やっている。そして、若い人達にそれを残して行きたいと思ってやっている。
 最後に、感謝申し上げたいと思う。世界中色々な場所で仕事をして来たが、その時間、その場所、そこの活動、そして私の情熱も共有してくださった今までの方達、全ての方達にお礼申し上げたいと思う。そしてそれを支援して応援してくださった方々、全ての方々に感謝申し上げる。」と述べられました。

WHOより贈られた盾及びPacELFパンフレットを説明される一盛和世氏
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引き続き、受賞の先生方を囲んでの祝賀会に移り、本財団の原隆昭評議員長のお祝いの言葉と乾杯で始まり、盛会のうちに散会となりました。

祝 賀 会 会 場 風 景
 

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受付風景
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乾杯をされる原隆昭評議員長
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