第 1回(1974年)~第10回(1983年) 第11回(1984年)~第20回(1993年)
第21回(1994年)~第30回(2003年) 第31回(2004年)~第40回(2013年)
第41回(2014年)~第43回(2016年)
第 1回(1974年)~第10回(1983年)
(所属は受賞時の所属・敬称略)
回 年度 |
氏 名 | 所属・役職等 | 業績内容 |
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第1回 1974年度 |
小張 一峰 | 長崎大学 熱帯医学研究所 教授 医学博士 |
WHOの要請でフィリピンにおいて、通算10年エルトールコレラの共同研究に尽力、とくに現地語を会得して、本格的な研究にあたり、日比友好に貢献された。その間、日本伝染病学会より二木賞(1964年4月)を受け、フィリピン保健大臣より日比WHOコレラ共同研究における功績を表彰(1969年)された。 |
第2回 1975年度 |
財団法人 アジア救らい協会 |
財団設立者の大山梅雄理事長は、かつて経済界の啓蒙講演会でアジア救らい協会の活動と、故宮崎松記博士の献身的な医療奉仕に感動し、特に顧問会にもはかりこれを選考の対象とした。故宮崎博士が院長として活躍したアジア救らい協会のインドセンターは、博士の没後よき後継者をえて、最終的には、1976年3月31日をもってインド中央政府に移管された。このアジア救らい協会の活動に対して第2回財団賞が贈られ、同時にインドセンターの設備備品購入の援助として、財団賞副賞とあせて、財団より100万円寄付した。 | |
第3回 1976年度 |
越後貫 博 | 海外技術協力事業団専門家としてフィリピン長期赴任 | 1969年8月より‘76年8月まで、日比医療協力の地域コンサルタントを勤め、ひきつづき1979年8月までフィリピンの伝染病対策に協力し現地において働いてきたコレラの疫学的研究の専門家である。 |
第4回 1977年度 |
蟻田 功 |
WHO伝染病部 専門官 |
WHOの痘そう根絶計画は種々の紹介記事で知られているように、非常に大きな規模のプロジェクトチームで、これまでに投入された人的、財政的資源は、厖大なものになる。その中枢はWHO本部事務局の伝染病部の痘そう根絶部門にあり、数名の専門官が担当しており、蟻田博士はその筆頭である。専門官はMedical Officerと呼ばれ、そのChiefはDr.D.A.Hendersonである。この部門は非常に大きな予算を持ち、他の部門に対し特別の位置にある。 Medical Officerは特任を帯びた、独自性をもった特任官である。WHO本部事務局を我が国の厚生省に相当するものと考えると、痘そう根絶部門は課に相当すると位置づけられるが、この部門は上記のようにWHOの中の大プロジェクトチームの中枢となっている。周知のように、WHO痘そう根絶計画は大成功のうちに進行中で、今年中には最後の痘そう流行地であるエチオピアから痘そうがなくなるものと期待されている。WHO痘そう根絶計画における専門医の筆頭として、本計画成功に大きく寄与した。 |
第5回 1978年度 |
鈴木 猛 |
WHO専門家 昆虫学者 |
WHOの専門家として、南太平洋の島(フィジー、西サモア、トンガ、カレドニア、ギルバート)で8年間フィラリア症の撲滅のため、その媒介蚊の調査に取組んで、輝かしい業績をあげた。 |
第6回 1979年度 |
大瀬 貴光 |
WHO高級医官 (エチオピア) |
1958年以来、WHO高級医官としてエチオピアに駐在し、同国のマラリア抑圧事業の責任者として活躍した。1974年以降は、日本の国際協力事業団と国連アフリカ経済委員会(以下UNECA)の契約によりUNECAの社会開発部コンサルタントとして活躍している。その業務は、アフリカ50ヵ国の要請に応じて各国の技術的、行政的、財政的分析を行い問題点を摘出し、解決案の作成にあたるもので、現在ソマリア・カメルーン・モリタニア・マダガスカル・ガーナ・コンゴ・リビア等より要請があいついでいる。 |
第7回 1980年度 |
印南 成司 |
JICA らい対策専門家 |
パラグアイのハンセン病対策に、サブカイ癩療養所を中心として、超人的な活躍をした。また癩患者のリハビリテーションのために日本から専門技師を招いて義手・義足・靴の製造に着手するなど、その活躍は医療協力の枠をのりこえたスケールの大きさで、パラグアイ政府はこれを多とし厚生大臣が感謝状を贈っている。 |
第8回 1981年度 |
渡辺 義一 |
WHO専門官 (コレラ) |
エルトールコレラが各地に蔓延した折、ある国にコレラが発生したとの報告に接すると直ちに出動、発生現況を把握し、いかに診断するか細菌学検査の細目を解説し、さらにコレラコントロールの実際を指導する。そして、各地域にコレラコントロールのための研修コースを設定する、専門家を招聘して講義を依頼するとともに自らもいくつかのパートで講義をする。こうして訪れた国々の数は、実に200を超えた。 |
第9回 1982年度 |
林 薫 |
長崎大学 熱帯医学研究所 所長 |
1964年以来、文部省科学研究費補助金によりケニアを中心とした東アフリカにおける熱帯病の研究に従事し、その成果をもって1970年以来、海外技術協力事業団(現国際協力事業団)によるケニアでの医療協力を推進し、ケニア国伝染病対策プロジェクトにまで発展させた。このプロジェクトの進展は、今日、ケニア医学研究所設立という大きなプロジェクトにまで発展しようとしている。 |
第10回 1983年度 |
松島 立雄 | WHO西太平洋地域事務局マラリアアドバイザー | 1961年より22年間、WHOにおいてマラリアコントロールに尽すいしてきた。マラリアの流行地は開発途上国の気候・生活環境共酷悪な貧困地域に多い。したがって松島博士の活躍の現場は、普通の日本人にはとても居住し難いような、ナイジェリア、バングラディシュなどであった。WHOにおいてもこの悪戦苦闘が高く評価され、‘84年1月下旬より、マニラにあるWHO Regional Officeのマラリア及び熱帯病研究の最高スタッフとして勤務し、マラリア撲滅という人類の大目標に向かって挺身している。 |