令和5年度贈呈式

 去る3月14日(木)午前11時30分から霞が関コモンゲート西館37階の霞山会館(東京・霞が関)において、令和5年度の公益財団法人大山健康財団の贈呈式が開催され、第50回学術研究助成金、並びに第50回大山健康財団賞、大山激励賞及び第6回竹内勤記念国際賞が贈呈されました。

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受付風景
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受付風景

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式次第
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司会の岡田護常務理事
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贈呈式会場風景
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贈呈式会場風景
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開会の挨拶をされる神谷茂理事長

「開会の挨拶」で、本財団の神谷茂理事長より「先ずもって、本年1月1日に起きました能登半島地震によって亡くなられた方、被災された方に心よりお悔やみ及びお見舞い申し上げます。
 さて、本日は年度末のご多忙な折にも拘わりませず、多数の皆様方に大山健康財団の贈呈式にご参集いただき誠に有難うございます。長らくコロナ禍のためにこういった贈呈式に制限が加わっておりましたが、ご存知のように昨年の5月13日に新型コロナウイルス感染症は二類相当から五類に移行しました。今年の1月下旬では新型コロナウイルス感染症とインフルエンザはかなり増加していましたが、2月に入ってから急激に下がりました。両疾患とも流行はしておりませんので、ご安心いただきたいと思います。現在、厚労省のマスク着用に関しましては、医療機関、高齢者施設につきましては推奨しています。また、満員電車、満員バスもマスク着用が推奨されますが、現在そういった呼吸器感染症の流行もない場合のマスク着用は個人の主体的な選択を尊重して個人の判断に委ねることになりますので、どうぞご了解の程お願いします。ただ、先ほど司会者からもご紹介がありましたように、この後のパーティーはビュッフェ形式ですので、実際に食べ物を取り分ける際にはやはり飛沫が食べ物に掛かると衛生的に宜しくありませんので、マスク着用をお願いする次第です。
 さて、今年は大山健康財団創立50周年目でございます。第50回の大山健康財団賞、並びに学術研究助成金の贈呈式がかくも素晴らしい日に恵まれたというのは本当に喜ばしい限りでございます。
 大山健康財団は、故大山梅雄初代理事長の私財寄附により昭和49年8月に設立された財団でございまして、今年の8月8日で創立50周年を迎える訳でございます。
本財団設立の目的は、予防医学的研究及び健康増進に関する調査研究に対する助成並びに医療活動、特に発展途上国における医療活動に対する顕彰等を主たる公益目的事業としております。 昨年度までに学術研究助成金の累計支給件数は421件、支給総額は4億1575万円に達しております。今年度で、累計件数は431件、支給総額は4億2,575万円になります。私も若いころは、大山健康財団から研究助成を受けまして、本当に感染症学とか微生物学の研究をする者にとって有難い存在でございました。
 大山健康財団賞につきましては、これまで48名(1団体を含む)の先生方に贈呈され、今年度で49名(1団体を含む)になり、大山激励賞は昭和61年に第1回目を贈呈してから、これまで36名(1団体を含む)の先生方に贈呈され、今年度で37名(1団体を含む)になります。
 さらに、平成30年度に新しく創設されました竹内勤記念国際賞は故竹内勤前理事長の遺徳を永く記念するため竹内先生の奥様からの私財寄附により創設された賞でございまして、長年、発展途上国で熱帯医学、寄生虫学の研究に貢献し、今後とも大いに活躍が期待される若手の研究者に贈られる賞でございます。これまで5名の先生方に贈呈され、今年度で6名になります。
それぞれ賞をお受けになられました先生方が、受賞を励みとして、その後、益々ご活躍されますことを期待いたします。」と能登半島地震へのお見舞いの言葉並びに本財団の沿革及び学術研究助成金受贈者、各賞受賞者へのお祝いと励ましの言葉を述べられました。

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選考経過を報告される神谷茂理事長

 続いて神谷理事長より、学術研究助成金、大山健康財団賞、大山激励賞、竹内勤記念国際賞の選考経過が報告されました。
令和5年度第50回学術研究助成金は、53件の応募申請の中から選考委員会で厳正なる審査・選考の結果を基に理事会において、特に優れた10件の研究課題に対し学術研究助成金各100万円を贈呈することに決定したもので、神谷理事長より10名の受贈者に学術研究助成金総額1,000万円が贈呈されました。
 令和5年度の第50回大山健康財団賞については5件、大山激励賞については3件、第6回竹内勤記念国際賞については5件のそれぞれ候補者の推薦があり、選考委員会で厳正なる審査・選考の結果を基に理事会において、大山健康財団賞には小林潤氏が、大山激励賞には駒田謙一子氏が、竹内勤記念国際賞には加藤健太郎氏が受賞者に決定いたしました。神谷茂理事長より大山健康財団賞を受賞された小林 潤氏には賞状、記念メダル及び副賞100万円が、大山激励賞を受賞された駒田謙一氏には賞状と副賞50万円が、竹内勤記念国際賞を受賞された加藤健太郎氏には賞状と副賞30万円がそれぞれ贈呈されました。

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学術研究助成金の贈呈
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学術研究助成金受贈者代表挨拶の木村幸司氏

 学術研究助成金受贈者を代表して挨拶された木村幸司氏は、「この度は学術研究助成金を受贈させていただき誠に有難うございます。この学術研究助成金は今年で50回と非常に長い歴史ある研究助成金で、過去の受贈されている先生方を拝見させていただきました。我々の分野の非常に高名な先生が沢山受贈者に名前を連ねておられる研究助成金で、この助成金の受贈者の中の一人に私の名前を加えていただけることを非常に名誉に思っております。この大山健康財団の目的を拝見させていただきますと、予防医学的研究及び健康増進に関する事業を援助・推進して人類の健康と社会の福祉に貢献するとなっております。私の細菌学の指導者は、薬剤耐性菌の研究をしておられた荒川宜親先生で、国立感染症研究所細菌学第二部長と名古屋大学の教授をしておられましたが、その荒川先生がいつも我々に仰っていた言葉がありました。『研究の最終目標はただ論文を書くことではなくて、我々の研究分野で言えば感染症に関する診断や予後・治療に貢献して、感染症で苦しむ方の数を少しでも減らすことに貢献できるようにしなさい。それを最終目標にしなさい。』ということを教えられて参りました。我々はそれを頭に入れて日々研究を行っている訳ですが、その考え方はこの大山健康財団の理念に非常に合致しておりまして、そのために我々の研究がこの度採択されたものと思っております。感染症学、微生物学の研究に助成していただける研究助成と言うのは非常に限られておりまして、特に我々の細菌学、微生物学、寄生虫学に重点的に助成していただける研究助成は本当に有り難いと思っております。この研究助成を有効に使用させていただきまして、大山健康財団の趣旨に合った人類の健康と社会の福祉に寄与できる研究を推進して行きたいと思います。」と喜びの言葉と今後の抱負を述べられました。

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学術研究助成金を受けられた先生方(敬称略)

後列左から 齊藤大蔵 鳥越翔太 凪 幸世 
前列左から 内山淳平 兼子裕規 神谷茂理事長 木村幸司 

 神谷茂理事長より大山健康財団賞を受賞された小林 潤氏には賞状、記念メダル及び副賞100万円が、大山激励賞を受賞された駒田謙一氏には賞状と副賞50万円が、竹内勤記念国際賞を受賞された加藤健太郎氏には賞状と副賞30万円がそれぞれ贈呈されました。

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大山健康財団賞を贈呈される小林 潤氏

大山健康財団賞を受賞し
挨拶される小林 潤氏

 大山健康財団賞を受賞された小林 潤氏は、「2013年に大山健康財団激励賞を頂き、大変励まされました。その後の活動成果を評価していただき大変光栄でございます。神谷理事長、建野先生、狩野先生をはじめ、評価していただいた先生方には改めて感謝申し上げます。またこの成果が得られたのは、国際学校保健コンソーシアム、メータオクリニック支援の会のメンバー皆さんのおかげであると感謝しています。国際学校保健コンソーシアムは日本のメンバーをはじめ、海外の多々の協力者があってこそ活動成果が得られてきました。協力者であるフィリピン大学公衆衛生学部のグレゴリオ氏はフィリピン大学マニラ校で、1年で最も成果をあげた研究者に昨年選ばれました。インドネシア国マタラム大学のハムス氏は、教授の称号を昨年得ました。同国では教授はポストでなく、国家から研究業績によって与えられるものです。このように仲間が同時に各国で高い評価を得ていることは、素晴らしいことであると感じています。メータオクリニック支援の会は、新型コロナバンデミック下で有高氏が現場で活動を続けてきました。また日本ではコアメンバーがボランティアで活動を続けて、これを下支えしています。皆の献身的精力的な支援活動に感謝の念でいっぱいです。また私の国際活動を支えてくれた家族にも感謝を申し上げます。」と喜びと感謝の言葉を述べられました。

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左から 神谷茂理事長 大山健康財団賞受賞者小林 潤氏 建野正毅専務理事

 大山激励賞を受賞された駒田謙一氏は、「本日はこのような栄誉ある賞をいただき大変光栄に存じます。まずは、私の活動や実績を評価いただいた大山健康財団の関係者の皆様に厚く御礼を申し上げます。ご評価いただいた活動は私のような若輩者が独りで成し遂げられるようなものではなく、ご指導いただいた先輩方や協力いただいたパートナー、また陰で支えてくれた家族にも改めて感謝申し上げます。今年の1月1日は能登地方で大きな震災がございましたが、振り返れば私が国際協力を志すきっかけとなったのも海外における大震災でした。2005年にパキスタンで大きな地震があり、当時都内の病院で救急医として働いていた私も、現地での医療支援に参加する機会をいただきました。そこで、その場しのぎにとどまらない支援の重要性を痛感し、公衆衛生や語学の勉強を経て、国際協力の門を叩いた次第です。以来、ミャンマー、ラオス、ザンビア等で主に感染症関係の技術協力や疫学調査を実施しておりますが、とにかく現地の人に寄り添う、という点を何よりも重視してまいりました。ともすれば押し付けがましくなるような活動や態度になることを避け、プログラムを立案、実施する際や、リサーチクエスチョンを立てる際は、現地の人々にとって本当に何が必要か、また最前線で彼らをケアする医療従事者にとって何が助けとなるのか、という視点を常に欠かさないように努めてまいりました。その積み重ねが、ラオスでの予防接種に関するエビデンスの構築やザンビアの農村部におけるHIVに対する抗レトロウイルス療法の治療継続率の改善に貢献できたものと考えております。昨今、日本も格差社会という言葉が使われるようになりましたけれども、私自身は途上国における健康格差こそ、まさに拡大していると実感しております。つい先日も、ザンビアでコレラが流行しておりまして、現地での対応を支援してまいったところですが、現地でコレラに感染している人というのはやはりペットボトルの水が買えない、トイレの環境も悪いとかそういう方が感染していて、また亡くなる人の多くは病院に来る前にお亡くなりになる。現地でコレラに感染しているのは貧しい人ばかりです。コロナは富裕層も含め全世界で流行しましたが、多くの感染症は未だ世界の恵まれない方々にとって引き続き大きな脅威となっております。最近は、グローバルファンドやパンデミックファンドなどの国際機関における戦略策定や評価のお手伝いをさせていただく機会もいただいていますが、今後も現地の人々の声に耳を傾け、現場のニーズに応えられるよう誠実に取り組んで参りたいと改めて身を引き締める次第です。」と感謝の言葉と今後の抱負を述べられました。

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大山激励賞を贈呈される駒田謙一氏 
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大山激励賞を受賞し
挨拶される駒田謙一氏

 

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左から 神谷茂理事長 大山激励賞受賞者駒田謙一氏
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竹内勤記念国際賞を
贈呈される加藤健太郎氏 
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竹内礼子様より副賞を
贈呈される加藤健太郎氏
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竹内勤記念国際賞を受賞し
挨拶される加藤健太郎氏

 竹内勤記念国際賞を受賞された加藤健太郎氏は、「本日は、第6回竹内勤記念国際賞を頂き、非常に光栄に思っております。私自身、感染症の研究を始めましたのは、東京大学獣医微生物学研究室に入ってからです。鶏にリンパ腫を起こすマレック病ウイルスの研究を行った関係で、同じくヒトにリンパ腫を起こすヘルペスウイルスであるEpstein-Barrウイルスの研究も行いました。このEpstein-Barrウイルスはアフリカでバーキットリンパ腫の発症に関係しているとされており、これが偶然にも熱帯病との出会いとなりました。やがて卒業の時期になり、ケニアとインドに旅行に行くことになりました。マラリアの予防薬を処方してもらったほうがよいということなりまして、赤玉薬局というところでメフロキンを処方していただきました。その後、当時住んでいた東大の寮に処方していただいた医師から電話がありました。東大医科研に勤めていたそうで、寮のOBだということでした。寮はまだあるのか?という話や、ナイロビは高地なのでマラリア原虫はあまりいないこと等を教えてもらいました。実際に現地でメフロキンをのんだのですが、特に副反応もなく、これが私のマラリア薬との出会いとなりました。博士課程を修了し、私はアメリカのNIHでマラリアの研究をすることにしました。ボスはLouis Miller博士です。当時もう70歳を超えていたのですが、先月約20年ぶりにメールがきて驚きました。メールの内容は先日出した我々の論文に対して、“wonderful paper”ということだったのですが、もう90歳くらいだと思うのですが、未だにラボを運営し、最新の論文にも目を通しているのだと知り、私もまだまだ頑張らねばと研究への決意を新たにしました。本日このような賞をいただき、さらに励みとしてこれからも熱帯病、寄生虫、感染症の研究を行っていきたいという思いを新たにしました。」と感謝の言葉と今後の決意を述べられました。

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左から 神谷茂理事長 竹内勤記念国際賞受賞者加藤健太郎氏氏 竹内礼子様 

 
 受賞者挨拶の後、大山健康財団賞を受賞された小林 潤氏による『記念講演』が行われました。(記念講演内容については最後段参照)
 最後に当財団の建野正毅専務理事より「閉会の挨拶」があり「学術研究助成金、大山健康財団賞、大山激励賞、竹内勤記念国際賞をご受賞された先生方、おめでとうございます。この受賞を糧として益々発展されることを祈っております。」とお祝いと激励の言葉を述べられました。

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閉会の挨拶をされる建野正毅専務理事

 
引き続き、受賞の先生方を交えた記念祝賀会に移り、本年度は5年振りとなる立食のビュッフェ形式での祝賀会でしたが、本財団の森 雄一監事のお祝いの言葉と乾杯で始まり、盛会のうちに散会となりました。

 記  念  祝  賀  会 

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司会の岡田常務理事

祝賀会会場風景(1)
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お祝いの言葉を述べられる森 雄一監事

乾杯をされる森 雄一監事
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祝賀会会場風景(2)

祝賀会会場風景(3)
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祝賀会会場風景(4)

祝賀会会場風景(5)
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祝賀会会場風景(6)

祝賀会会場風景(7)
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祝賀会会場風景(8)

祝賀会会場風景(9)
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祝賀会会場風景(10)

祝賀会会場風景(11)
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祝賀会会場風景(12)

祝賀会会場風景(13)

『 記 念 講 演 』要 旨

第50回大山健康財団賞受賞者 小林 潤先生

琉球大学大学院保健学研究科長/医学部 保健学科長 国際地域保健学教室 教授
日本国際保健医療学会 理事長 国際学校保健コンソーシアム 理事長
NPO法人メータオ・クリニック支援の会 代表理事

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「記念講演」をされる小林 潤 先生

国際学校保健コンソーシアム

 国際学校保健コンソーシアム(/https://schoolhealth.asia/)は2010年に発足した日本発のシンクタンクである。現在では、学校保健の低中所得国の普及に貢献するアジアのハブとして、広く認識されている。発足のきっかけは、竹内勤先生にロンドンへ連れて行っていただいたことの経験が活かされた。当時、学校保健の低中所得国の普及をリードしていたのは、イギリス国インペリアル大学に作られたシンクタンクのPCD: Partnership for Child Developmentであった。イギリスは未だに世界の学問を牽引しており、各大学は威厳を感じさせている。実は私は、大学院進学経験も欧米への留学経験というものがなく、いわば開発途上国の現場においての学びが全てであった。いうなればたたき上げの熱帯医学・国際保健研究者である私にとって、イギリスの大学での会議は、重圧を感じての参加であった。会議が始まると教授がでてきたのは初日だけであって、その後私に意見を求め世界戦略を検討するメンバーは20代から30代の若者であった。彼らが、世界戦略の原案をまさにつくっているのである。実は国連機関は、自らが世界戦略や、各国の政策の草案をつくっているわけではない方が多く、このようなシンクタンクに依頼する、またはシンクタンクから派遣された国連スタッフが作成していることが多い。イギリスから帰国時には自分の中で、重圧から正反対の姿勢が形成されていた。大学院での学びや学友というものがない私にとって、これは大変新鮮に映った一方で、これであればシンクタンクは日本でもできるのではないかと思ったのである。さらになんでアジアやアフリカで開発をやっているのに、アジアにはシンクタンクがないのかという疑問も強く感じた。
 2008年に学校保健の国際的普及を牽引してきた日本国の政府開発援助としての橋本イニシアティブ事業は終焉をし、同時に私も帰国となった。しかしながら、10年間で形成された世界的ネットワークは強固であった。学校保健のいろいろな課題に対応するニーズは膨れる一方で、ネットワークからの連絡や支援依頼は後を絶たず、このニーズを強く感じることになった。同時に、一人では対応できない、今までのメンバーだけでは無理であるとも感じた。初等教育での寄生虫対策の普及が主眼であった橋本イニシアティブ事業から学校保健の土台作りは各国で成功を収めた。これを土台にインフルエンザ等多々の感染症への対応が必要になった。寄生虫対策で改善された栄養問題は、痩せだけでなく、アジア各国では肥満の問題は初等教育でも大きな問題となっていた。さらにはタイ、マレーシア、シンガポール、フィリピン、インドネシアといった新興アジア諸国では、高等教育での学校保健普及が積極的に取り組まれ、そこでの保健課題は性に関する保健や、いじめ対応を含むメンタルヘルスの課題であった。明確には記憶がないが、研究をつづけていくなかで自然発生的に仲間が集まりシンクタンクが発足した。また、学会等でイベントをやるごとにすこしずつ色々な背景と専門性をもつ仲間が増えていった。バンコクでの学校保健の研修事業は、上述のイギリス国PCDとのタイアップで復活した。アジア各国の仲間もさらに増えていき、200人以上の学校保健の政策策定・政策実施に係る人材が育成された。2015年には12年間開催されていなかったWHOの学校保健諮問会議がバンコクで開催されるに至り、これを下支えすることにもなった。
 そんな中、2020年新型コロナ感染症パンデミックが起きた。勤務していた琉球大学においてパンデミックとともに研究科長兼学科長に就任した私は、いかに大学教育を維持していくかをさぐり、奔走した。同時アジア各国で巨大台風や津波の自然災害によって学校教育の維持の難しさを目のあたりに見てきた私には、直観的にウイルス感染以外の脅威が襲い、それは負の連鎖を起こしかねないと感じた。恐ろしいほど、この予測は当たり始めた。日本のデータを分析すると2020年後半期の学童期思春期の自殺数が明らかに上昇していた。フィリピンでは長期の学校閉鎖によって、家庭内児童虐待の数が上昇しているとの情報が入ってきた。これらの脅威に対応するために学校閉鎖は最小限にして学校保健の強化が必要であることをいち早く科学論文を発刊し提言した。論文の日本語訳が沖縄タイムスに掲載されたあとは、学校や学童の現場からの問い合わせが来るようになった。それは問い合わせというより、病原体を封じ込めることより、教育現場では育つ・遊ぶ・学ぶといった子供の権利を守ることが優先されるという確認であった。同時にアジアの仲間の働きかけもあり、各国においても学校閉鎖の取りやめが主流となっていった。
 皮肉にも教育の維持というより、病原体の感染を防ぐという点で手洗いが注目されるなかで学校保健は再注目され、新たな調査研究が委託されることになった。これまでに構築した海外の仲間とオンラインでの密なコミュニケーションによる多国間の研究が実施されていった。パンデミック以前に信頼関係が築かれたネットワークは、幸いにしてさらに強くなり拡大していった。2021年秋にはマニラでWHO西太平洋事務局とともにアジア太平洋の学校保健普及のシンポジウムがマニラでオンラインも使ったハイブリッドで開催されるに至った。ポストコロナの現在、学校保健の普及は着実に次のステージに上がってきている。

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JAM:メータオクリニック支援の会

 2008年に結成された草の根のNGO団体であるJAM(/https://japanmaetao.org/)は、タイ国のミャンマー国境にある街に作られたメータオクリニックを支援する日本の窓口となっている。設立からすでに15年がたつが、会員の皆様からの寄付や政府系のファンドからの支援で事業を展開してきた。しかしながらその資金は安定したものではなかった。紛争が激化しマスメディアが取り上げてくれていれば、資金は集まる。しかし、世界に紛争は多発しており、当然新しい紛争や激化した紛争に注目が集まり、資金はそちらに流れていく。我々は現地にスタッフを派遣して保健医療活動を展開するともに、難民の代弁者として忘れ去れないように常に状況を会員の皆様等へつたえることを第一に活動をし続けてきた。これらの活動は、コアメンバーのボランティア活動で成り立ってきており、メンバーの献身的活動には感謝しかない。
 また、難民を支えるのは保健医療だけでなく人権の保護が特に重要になっており、これを鑑みた支援を続けてきた。ミャンマーは現在内戦が激化して国内避難民、国境を越えてくる難民は増加し続ける状態になっている。しかしタイ・ミャンマー国境の難民は、実は30年以上も続いている慢性緊急状態といわれている。この中で、戸籍をもたない子供達は多い。なぜならば避難してくるなかで証明するものが失われてしまったということだけでなく、避難してきたタイにおいてはタイに戸籍をもつ母親からの子供の場合、無国籍となるのである。自己の存在を証明するものがないということは、容易に人身売買の対象になるといえる。保健医療サービスはメータオクリニックで受けられ、教育も移民達の自助機関が運営している学校(ラーニングセンター)で受けられたとしても存在の証明はされない。そこでメータオクリニックでは安全な出産のサービスを提供するだけでなく出生証明書を発行している。

  • 以 上