令和4年度贈呈式

 去る令和5年3月14日(火)午前11時30分から霞が関コモンゲート西館37階の霞山会館(東京・霞が関)において、令和4年度の公益財団法人大山健康財団の贈呈式が開催され、第49回学術研究助成金、並びに第49回大山健康財団賞、大山激励賞及び第5回竹内勤記念国際賞が贈呈されました。

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式次第
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司会の岡田護常務理事
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贈呈式会場風景
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贈呈式会場風景
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開会の挨拶をされる神谷茂理事長

「開会の挨拶」で、本財団の神谷茂理事長より「本日は令和4年度の公益財団法人大山健康財団の贈呈式を挙行するにあたりまして、ご多用中にもかかわりませず、また、新型コロナウイルス感染症の第8波が漸く収束しつつある中ではございますが、多数の皆様にご臨席をいただき誠に有難うございます。ご存じのように、新型コロナウイルス感染症が5月8日をもって現行の2類相当から5類に引き下げられることが決まりました。昨日(3月13日)からマスク着用規制は大幅に緩和され、厚生労働省では、マスク着用は基本的に屋内外において個人の判断に委ねますとしております。従いまして本日は皆様のご判断に基づいて感染防止策を配慮していただいて贈呈式を執り行いたいと思います。ここ3年ほどコロナ禍のため贈呈式のあとに開催しておりました記念祝賀会も中止にしておりましたが、今年度は記念祝賀会を開催いたします。飲食を伴う機会でございますので、手指消毒・会話の際のマスク着用等の感染防止策にご理解とご協力の程お願い申し上げます。
 後程、ご紹介申し上げますが、令和4年度の第49回学術研究助成金並びに第49回大山健康財団賞、大山激励賞及び第5回竹内勤記念国際賞をお受けになられます先生方には心からお祝いを申し上げます。
 大山健康財団は、故大山梅雄初代理事長の私財寄附により昭和49年8月に設立された財団でございまして、来年には創立50周年を迎えることになります。
本財団設立の目的は、予防医学的研究及び健康増進に関する調査研究に対する助成並びに医療活動、特に発展途上国における医療活動に対する顕彰等を主たる公益目的事業としております。昨年度までに学術研究助成金の累計支給件数は411件、支給総額は4億575万円に達しております。今年度で、累計件数は421件、支給総額は4億1,575万円になります。
 大山健康財団賞につきましては、これまで48名(1団体を含む)の先生方に贈呈され、今年度で49名(1団体を含む)になり、大山激励賞は昭和61年に第1回目を贈呈してから、これまで36名(1団体を含む)の先生方に贈呈され、今年度で37名(1団体を含む)になります。
 更に、平成30年度に新しく創設されました竹内勤記念国際賞は、これまで4名の先生方に贈呈され、今年度で第5回目になります。故竹内勤前理事長の遺徳を永く記念するため、竹内先生の奥様からの私財寄附により創設された賞でございまして、長年、発展途上国で熱帯医学、寄生虫学の研究に貢献し、今後とも大いに活躍が期待される若手の研究者に贈られる賞でございます。
 それぞれ賞をお受けになられました先生方が、受賞を励みとして、その後、益々ご活躍されておられますことは、本財団にとりましてもこの上ない喜びでございます。」と本財団の沿革、並びにお祝いの言葉を述べられました。

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選考経過を報告される神谷茂理事長

 続いて理事長より、学術研究助成金、大山健康財団賞、大山激励賞、竹内勤記念国際賞の選考経過が報告されました。
令和4年度第49回学術研究助成金は、58件の応募申請の中から選考委員会で厳正なる審査・選考の結果、特に優れた10件の研究課題に対し学術研究助成金各100万円を贈呈することに決定したもので、神谷理事長より10名の受贈者に学術研究助成金総額1,000万円が贈呈されました。
 令和4年度の第49回大山健康財団賞については4件、大山激励賞については3件、第5回竹内勤記念国際賞については3件のそれぞれ候補者の推薦があり、選考委員会で厳正なる審査・選考の結果、大山健康財団賞には「ボリビア、パキスタン、ホンジュラスにおいてJICA技術協力プロジェクト専門家として途上国における地域医療を通じて住民の健康増進への貢献、コンゴ民主共和国のエボラ出血熱流行対策への貢献、タイおよびアフリカのHIV/エイズ対策への貢献」のご功績が高く評価され、仲佐 保氏(シェア=国際保健協力市民の会共同代表)が受賞者に決定し、大山激励賞には「ミャンマー、カンボジア、ラオスで国際医療協力に貢献し、これまで約20人のカンボジア人医師を育成した」ご功績が高く評価され、神白麻衣子氏(ジャパンハートカンボジアこども医療センター院長 )が受賞者に決定し、竹内勤記念国際賞には「マラリアに次いで危険な熱帯病と言われている中南米特有のシャーガス病を媒介するカメムシの、ニカラグアにおける駆除対策」のご功績が高く評価され、吉岡浩太氏(長崎大学准教授)が受賞者に決定したものです。

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学術研究助成金受贈者代表挨拶の羽田 健氏

 学術研究助成金受贈者を代表して挨拶された羽田 健氏(北里大学講師)は、「当財団から我々研究者に対して半世紀近く助成金を出していただいている。『大山健康財団45年のあゆみ』という記念誌を拝見させていただきましたが、その中に過去の受贈者の名前が掲載されており、それを拝見したところ、現在、国内外を問わず学会等で活躍されている研究者が多くおられました。私もこの助成金を受贈し、その先生方、研究者のようにインパクトのある研究をこれからもしていきたい。また、その受贈者の中には、私の学生時代の指導教授がおられ、今回の採択はその教授からの激励だと思ってこれから自分の研究に発展させていきたい。」と喜びの言葉と今後の抱負を述べられました。

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学術研究助成金を受けられた先生方(敬称略)

後列左から 金城武士 下埜敬紀 羽田 健 日吉大貴 
前列左から 井原聡三郎 神谷茂理事長 上蓑義典 川島 晃 

 神谷茂理事長より大山健康財団賞を受賞された仲佐 保氏には賞状、記念メダル及び副賞100万円が、大山激励賞を受賞された神白麻衣子氏には賞状と副賞50万円が、竹内勤記念国際賞を受賞された吉岡浩太氏には賞状と副賞30万円がそれぞれ贈呈されました。

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大山健康財団賞を贈呈される仲佐 保氏

大山健康財団賞を受賞し
挨拶される仲佐 保氏

 大山健康財団賞を受賞された仲佐 保氏は、「この度は、大山健康財団という栄誉ある賞を賜ることになり、本当に感謝しております。広島大学卒業時、国際医療協力に興味があり、国立国際医療研究センター(当時、国立病院医療センター)の外科に入職しました。卒業1年目にカンボジア難民キャンプの医療援助に参加したのち、国際医療協力への道に進むことを目指しました。同時に、1983年には、国際協力を目指す仲間たちとNGOのシェア=国際保健協力市民の会を立ち上げました。公的には、1986年に国立国際医療研究センターに国際医療協力部の最初のメンバーとして、採用され、官の仕事としてJICAの長期専門家となり、ボリヴィア、パキスタン、ホンジュラスにおいて医療専門家として働かせていただきました。ホンジュラスから帰国後は、日本国際保健医療学会の学生部会を設立し、若い学生らの育成にも取り組みました。最後の長期派遣は、コンゴ民主共和国の保健次官顧問として働き、エボラ出血熱の流行に関しての協力を行いました。コンゴ民主共和国での長期派遣ののち、現職のシェア=国際保健協力市民の会の共同代表となり、国際協力を継続しております。長年の活動が評価されたことをとても感謝しております。」と感謝の言葉と国際協力継続の決意を述べられました。

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左から 神谷茂理事長 大山健康財団賞受賞者仲佐 保氏 仲佐令夫人
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大山激励賞を贈呈される神白麻衣子氏 
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大山激励賞を受賞し
挨拶される神白麻衣子氏

 大山激励賞を受賞された神白麻衣子氏は、「この度は、大山激励賞にご選出くださいまして、誠に有難うございます。1974年に発足した歴史ある大山健康財団より賞をいただけるとは身に余る光栄でございます。私は2007年よりNPO法人ジャパンハートに所属し、ミャンマー、カンボジアなどで医療活動を行なって参りました。私がこのような賞をいただけたのは偏にジャパンハートの皆さんと、活動を支えてくれた周りの方々のおかげであり、ここに深く感謝申し上げます。現在私がおりますカンボジアは、著しい経済発展に比較して医療のレベルが遅れており、国民が自国の医療を信頼していない状況です。40数年前のポルポト政権とそれに引き続く内戦により、医療システム、医療従事者を育てる教育システムが一度全て崩壊しました。今でもその深い爪痕が感じられます。ジャパンハートは2009年にカンボジアで医療活動を開始し、2016年に病院を設立、2018年より小児病棟を増築してジャパンハートこども医療センターとし、それまで取り残されていた小児固形がんの治療に取り組んでいます。小児がんは、大人のがんに比べて、きちんと治療すれば治りやすい疾患で、先進国ではその5年生存率は70-80%ですが、低中所得国での生存率は20%程度と言われています。カンボジアのような国でも、必要な抗がん剤は手に入ります。私たちは、日本の小児がん専門医と小児外科医の力を借りて、まずは腎芽腫、肝芽腫、神経芽腫といった腹部のがんから無償で治療を始めました。小児病棟建設後5年を迎え、コロナ禍において、日本からの専門家渡航が途絶える中、現地人スタッフ、現地に滞在を続けた少数の日本人スタッフと、毎回2週間の隔離をされながら唯一渡航を続けた小児外科医吉岡秀人で、なんとか必要な手術や抗がん剤治療を続けてきた結果、年間80-100名の小児がん患者さんが紹介される施設になりました。生存率も5割を上回ってきていますが、先進国に追いつく7割程度までは持っていきたいと考えております。
 また、カンボジアでは専門家以外の総合医療はまともな卒後教育を受ける機会がありませんが、教育の機会さえあれば大きく伸びる人たちばかりです。当院では日本人からだけでなく、カンボジア人の中で教育ができるよう、システムを少しずつ整えています。当院では地元の公立病院と連携し、一般患者も数多く受け入れていますが、一般患者の半分以上はカンボジア人だけで治療を行えており、もうすぐ、カンボジア人だけで一部の小児がんの治療が完遂できる直前のところまで来ています。
 さて、コロナ禍と政変の二重の苦しみの中にあるのがミャンマーです。ミャンマー国内では医療者が政治的混乱のため国立病院に戻っておらず、医療が崩壊しています。2022年後半より、ようやく2年半ぶりにミャンマーに渡航できるようになりました。しかし渡航したスタッフによれば、それまで国立病院で行っていた小児の手術がほとんどできなくなっているなど、想像以上に厳しい医療状況を目の当たりにしたそうです。早速、手術活動を再開、小児がん手術、ヤンゴンにおける小児科クリニック開設など、新たな活動も開始しています。しかし、政治的混乱の収束の見込みは立っておらず、ミャンマー国内で救える命には限りがあります。
 ジャパンハートは、カンボジアのプノンペン近郊に新たな小児病院を作る計画を進め、2025年内の開院を目指しています。この病院では、カンボジアだけでなくミャンマーをはじめとする周辺国からも高度医療が必要な子どもたちを受け入れます。医療の必要な子どもたちが、経済状況や政治状況に関わらず、必要な医療を受けられる状態を実現したいと考えております。引き続き、皆様の活動へのご理解、ご協力を賜れば幸いです。
 終わりに、私は自分で活動を起こしていくタイプの人間ではなく、これまでお話ししてきたことは全て団体の実積であり、私はその中でその計画がスムーズに進むように努力してきた一職員に過ぎません。自分が沖縄や長崎で勉強してきた地域医療、感染症、がん治療の経験が役に立つ場があり、この世界を見ることができるのは本当に幸運だとしか言いようがありません。
 私がこういった活動に従事することができるのは、日本国内の医療を守ってくれる方々、ジャパンハートに力を貸してくださるスタッフやボランティアの方々、周囲で支えてくれる人達のおかげです。深く感謝申し上げます。」と喜びの言葉と感謝の言葉を述べられました。

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左から 神谷茂理事長 大山激励賞受賞者神白麻衣子氏 近藤ゆふき様
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竹内勤記念国際賞を
贈呈される吉岡浩太氏 
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竹内礼子様より副賞を
贈呈される吉岡浩太氏
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竹内勤記念国際賞を受賞し
挨拶される吉岡浩太氏

 竹内勤記念国際賞を受賞された吉岡浩太氏は、「本日はこのような機会を与えていただき大変感謝するとともに大変恐縮しております。 受賞の理由として挙げていただいたシャーガス病の仕事ですけども、もうかれこれ10年近く前の仕事になります。これは私の個人の仕事ではなくてJICA国際協力機構の協力プロジェクトとして支援していただいた仕事になります。ですので、改めてこの場をお借りしてJICAで奉仕してくださった皆様、それから私と一緒に現場で働いてくれたJICAの専門家の仲間たち、それからニカラグアの保健省の人たち、特に我々が殺虫剤散布員と呼んでいましたけれども、本当に村を一軒一軒回って協力してくれた作業員の方たちにこの場を借りて改めてお礼を申し上げたいと思います。
 仲佐先生の先ほどのお声ですね、やっぱり現場が楽しいというのが一番だと仰いましたけども、本当に現場での楽しさを教えてくれたのはこのシャーガス病の仕事ですね。今だに現場の作業員の人達と朝早くから、お昼ごはんはもちろんレストランがないので食べられない人が多いんですね。それで朝から汗をかきながら水だけでなんとか凌いで、午後の3時ぐらいになってくるとバーッと雨が降ってきて、ちょっと軒先で休ましてくれというと、そのおうちのお母さんがトルティージャを作ってきてくれて、ところがおかずがないんですね。潮とトウガラシで食べるんですけど、これがまたおいしくて、それが今だに忘れられなくて・・・・。
 私がニカラグアの仕事に携わっていた時に、特任助教として長崎大学にいたことがありまして、その時に竹内先生に一度だけお目にかかったことがございます。当時、竹内先生は長崎大学の熱帯医学研究所の所長をされていた時期だと思いますけども、その時一度だけ面談をしてお話をしたことがあります。さすがにもう10年以上前になりますので何を話したか覚えていないんですけれども、おそらく確りやれよと激励されたものかと思います。
 本日このような賞をいただくことになり非常に縁を感じております。最初にご一報をいただいてから、竹内先生から過去の仕事に胡坐をかいていないでちゃんと将来に向かって頑張れと言われたような気がいたしました。勿論この賞が若手の研究者に与えられるものということなので、過去の仕事だけではなく、これからも確り仕事をしていけよというメッセージが込められているものと私も理解しております。少しだけ今、私が取り組んでいる仕事について話をさせていただきますけれども、色々今やっている中でも、やはり自分の中で一番これは成し遂げたいなと今思っているのはシャーガス病ですね。コロナもあって海外に行けなくなったので、日本国内のシャーガス病について少し細々ですけども研究の活動を続けて行きます。
 実は、まだ中南米での病気というイメージがあると思いますが、当然、日本にも患者さんがおりまして、多く見積もって3000人ぐらいの患者さんが、感染者を含めるともっといると思いますが、残念ながら治療薬が未承認で、シャーガス病が判明しても治療を訴えることができない。
 じゃあ、それをどうしたらいいのかということを今調査をしながら患者さんの管理組織、管理団体を作りながらそれを考えて、一個一個課題を解決して行こうかなと思っているところです。なかなか目に見えにくい病気ですし、日本の中でも忘れられている病気として考えることができますので、色々と活動するにあたってサポートが得られ難いというのがあります。
 ですので、このような機会に大山健康財団様からこのような問題に対して光をあてていただけるというのは私たちにとっても非常に勇気付けられることですし、是非、また機会がありましたら一緒にお仕事ができたらと思います。」と感謝の言葉と今後の決意を述べられました。

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左から 神谷茂理事長 竹内勤記念国際賞受賞者吉岡浩太氏 竹内礼子様 

 
 受賞者挨拶の後、大山健康財団賞を受賞された仲佐 保氏による『記念講演』が行われました。(記念講演内容については最後段参照)
 最後に当財団の遠藤弘良専務理事より「閉会の挨拶」があり「只今の、素晴らしい仲佐先生のご講演をもちまして本年度の贈呈式を終了させていただきます。学術研究助成金そして各賞の受賞者の皆様方、改めてお祝いを申し上げます。今後、益々の活躍を心より祈念しております。そして皆様方からいただいた心強いお言葉、当財団にとりましても大変有難いものでございます。来年、50周年を迎えますが、受賞者の皆様方のご活躍が私共にとっても何よりの糧となります。先程来、お話がありましたように4年振りにこの後、祝賀会を開催させていただきます。受賞者の方を交えご歓談いただければと思います。」と述べられました。

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閉会の挨拶をされる遠藤弘良専務理事

 
 引き続き、受賞の先生方を交えた記念祝賀会に移り、本年度は6人掛け円卓6脚を設けた会場でフランス料理のコース料理とさせていただきましたが、本財団の建野正毅理事のお祝いの言葉と乾杯で始まり、盛会のうちに散会となりました。

 記  念  祝  賀  会 

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司会の岡田常務理事

お祝いの言葉を述べられる建野正毅理事
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乾杯をされる建野正毅理事

祝賀会会場風景(1)
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祝賀会会場風景(2)

祝賀会会場風景(3)

『 記  念  講  演 』

仲佐 保先生(シェア=国際保健協力市民の会 共同代表)

― 国際保健と感染症 ― 

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「記念講演」をされる仲 佐 保 先生

 40年以上国際医療協力に携わってきましたが、様々な国において様々な感染症に出会ってきました。国際協力と感染症というタイトルでの話を紹介したいと思います。最初の国際協力は、1981年カンボジア難民キャンプでした。ポルポト原始共産主義政権の中でたくさん人々が虐殺されましたが、そこから逃げてきた難民たちへの支援活動でした。ここで最初の感染症に出会います。それはマラリアです。難民キャンプにおいて外科医として地雷を踏み足を飛ばされた患者や銃創の患者の手術を主な活動としていましたが、、若い脳マラリアの患者を診たときは衝撃でした。途上国では、多くの人が戦争だけではなく、治療可能な感染症で死んでしまうということと、マラリアの存在と恐ろしさを知ることができました。

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 1984年にはシェアの活動として、エチオピア飢餓被災民の援助のためにアフリカに向かいました。ここでは被災民らのための簡易の病院を建設し、1年間の活動を行いました。主要な死亡原因は、肺炎、下痢という感染症でした。また、発熱した場合には、マラリア、この地域の風土病である回帰熱、サルモネラ症を疑い、検査を行い診療を行いました。また、エチオピアには、牛肉を生で食べるという習慣があります。焼いてしまうと固くなってしまいますが、生をとても柔らかく、とてもおいしいのですですが、問題は寄生虫です。牛の筋肉には、無鉤条虫というサナダムシがおり、生肉を好むエチオピアのほとんどの人がこれに感染していると言われています。
1987年から3年間は、南米のボリビアの第二の都市サンタクルスにおいて、病院協力を行いました。ここで出会ったのがシャーガス病という寄生虫疾患です。この地域の人々の50%以上の人がシャーガス病に感染しているといわれており、長年のシャーガス病の感染による心臓発作による急死、巨大結腸症が起こります。中年でおなかがパンパンの人をみたら、巨大結腸症を疑い、手術を行っていました。また、当時、サンタクルス市では、狂犬病が流行しており、犬に咬まれての死亡も散見されました。

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 1996年から、パキスタンに母子保健プロジェクトのリーダーとして、重症になっても病院に行くことが難しく、死んでしまうことが多い妊産婦たちのための活動を行いました。南アジアのインド、パキスタン、バングラデシュに行く旅行者が必ず経験するのが、腹痛と下痢です。パキスタンにおいては「パキ腹」といわれ、皆が苦しんでいます。原因は、旅行者下痢症、古い油によるもの、そして、赤痢菌やアメーバなどの感染です。
2000年には、再びスペイン圏の中米のホンジュラスのリプロダクティブヘルスプロジェクトのチーフアドバイザーとして活動をしましたが、ここでは、デング熱が流行しており、デング出血熱により、胸水などを併発した青年海外協力隊の世話をしましたが、最終的にはアメリカのマイアミに緊急移送をし、治療をしてもらいました。
 最後の活動として、2018年から2020年には、コンゴ民主共和国に赴任しました。ここでは、2年間、エボラ出血熱の大流行の中、保健省のメンバーとこの未曽有の感染症との闘いに携わりました。エボラ出血熱は、1976年にコンゴ民主共和国(当時ザイール)で最初に発見され、散発的に流行がみられていましたが、1994-5年に西アフリカで大流行を起こしており、現在では、エボラウイルス病と呼ばれています。致死率が50-70%であり、恐れられている疾患です。コンゴ民主共和国では、北部のエクアトール州と東部のキブ州・イツリ州の2か所での流行がありましたが、東部地域では、紛争地ということもあり、流行が収まらずに、2000人以上の犠牲者が出ました。この流行時に初めて使われたワクチンが有効であることが証明されました。
長い国際協力の中で、病院協力や母子保健協力を行ってきましたが、常に感染症との闘いでもあったと思っています。
 最後に、40年以上の活動の中で、ともに赴任をして4人の子どもを育ててくれ、常に支えてくれた妻の直子に感謝します。

  • 以 上