令和3年度贈呈式

 去る3月24日(木)午前11時30分から霞が関コモンゲート西館37階の霞山会館(東京・霞が関)において、令和3年度の公益財団法人大山健康財団の贈呈式が開催され、第48回学術研究助成金、並びに第48回大山健康財団賞、大山激励賞及び第4回竹内勤記念国際賞が贈呈されました。

r3_sikisidai
式次第
r3_sikai
司会の岡田護常務理事
r3_kaijoufuukei2
贈呈式会場風景
r3_kaijoufuukei
贈呈式会場風景

「開会の挨拶」で、本財団の神谷茂理事長より「本日は、令和3年度の公益財団法人大山健康財団の贈呈式を挙行するにあたり、ご多用中にもかかわりませず、また、新型コロナウイルスのまん延防止等重点措置が解除されたばかりでございますが、多数の皆様にご臨席を賜り厚く御礼申し上げます。
 昨年度もそうでしたが、新型コロナウイルスの新規感染者数が減少傾向にあるとはいえまだまだ安心できない状況でございますので、感染防止策を徹底した中で、贈呈式を執り行いたいと思います。どうぞ、ご理解並びにご協力の程お願いいたします。
 また、例年贈呈式のあとに開催しておりました記念祝賀会で、受賞された先生方や研究助成金を受贈された先生方と懇親の場を設定させていただきました。しかし、新型コロナウイルス感染症への対策としての三密回避、ソーシャルディスタンシング、多人数での会食回避を引き続き励行する必要がございます。このような観点から残念ながら本年も記念祝賀会を中止とさせていただきました。どうか、ご了承の程お願い申し上げます。
 後程ご紹介申し上げますが、令和3年度の第48回学術研究助成金並びに第48回大山健康財団賞、大山激励賞及び第4回竹内勤記念国際賞をお受けになられます先生方には心からお祝いを申し上げます。
 大山健康財団は、故大山梅雄初代理事長の私財寄附により昭和49年8月に設立された財団でございまして、今年の8月で創立48周年になります。本財団設立の目的は、予防医学的研究及び健康増進に関する調査研究に対する助成並びに医療活動、特に発展途上国における医療活動に対する顕彰等を主たる公益目的事業としております。
 昨年度までに学術研究助成金の件数は401件、総額3億9,575万円に達し、今年度で4億円を超えることになります。
 大山健康財団賞につきましては、これまで47名(1団体を含む)の先生方に贈呈され、大山激励賞は昭和61年に第1回目を贈呈してから、これまで35名(1団体を含む)の先生方に贈呈しております。
 更に平成30年度に新しく創設されました竹内勤記念国際賞は、今年度で第4回目になります。故竹内勤前理事長の遺徳を永く記念するため、竹内先生の奥様からの私財寄附により創設された賞でございまして、長年、発展途上国で熱帯医学、寄生虫学の研究に貢献し、今後とも大いに活躍が期待される若手の研究者に贈られる賞でございまして、これまで3名の先生方に贈呈しております。
 それぞれ賞をお受けになられました先生方が、受賞を励みとして、その後益々ご活躍されておられますことは、本財団にとりましてもこの上ない喜びでございます。」と感謝とお詫びの言葉とともにお祝いの言葉並びに本財団の沿革について述べられました。

r3_rijityouaisatu
開会の挨拶ならびに選考経過を報告される神谷茂理事長

 続いて理事長より、学術研究助成金、大山健康財団賞、大山激励賞、竹内勤記念国際賞の選考経過が報告されました。
 令和3年度第48回学術研究助成金は、53件の応募申請の中から選考委員会で厳正なる審査・選考の結果、特に優れた10件の研究課題に対し学術研究助成金各100万円を贈呈することに決定したもので、神谷理事長より10名の受贈者に学術研究助成金総額1,000万円が贈呈されました。
 令和3年度の第48回大山健康財団賞については3件、大山激励賞については3件、第4回竹内勤記念国際賞については2件のそれぞれ候補者の推薦があり、選考委員会で厳正なる審査・選考の結果、大山健康財団賞には「1986年より社会医療法人雪の聖母会の海外事業の牽引者としてJICA関連の保健医療プロジェクトにおいて、医療の専門家としてのみならずプロジェクトの運営管理全般に携わり、途上国における病院の医療の質の向上に多大なる貢献をされた」ことが高く評価され、浦部大策氏が受賞者に決定し、大山激励賞には「ザンビア南部州ジンバ地区にあるジンバミッション病院において、医療設備や体制が十分とはいえない環境の中、無給のボランティア医師として、現地に移住してまで地域医療の向上に尽力された」ことが高く評価され、三好康広氏が受賞者に決定し、竹内勤記念国際賞には「長年、熱帯・亜熱帯地域の人々をいまだに苦しめている寄生虫病、所謂「顧みられない熱帯病」の研究に携わり、数多くの成果を挙げられた」ことが高く評価され、Marcello Otake Sato氏が受賞者に決定したもので、神谷茂理事長より大山健康財団賞を受賞された浦部大策氏には賞状、記念メダル及び副賞100万円が、大山激励賞を受賞された三好康広氏(当日欠席)には賞状と副賞50万円が、竹内勤記念国際賞を受賞されたMarcello Otake Sato氏には賞状と副賞30万円がそれぞれ贈呈されました。

r3_juzoushadaihyouaisatu"
学術研究助成金受贈者代表挨拶の工藤保誠氏

 学術研究助成金受贈者を代表して挨拶された工藤保誠氏は、「この度は、公益財団法人大山健康財団第48回学術研究助成金に採択いただき誠にありがとうございます。
 助成金受贈者を代表しまして一言ご挨拶を申し上げます。今回は第48回の助成金ということで、大山健康財団は48年という長きにわたり、人類の健康と社会の福祉のために我々研究者に助成をいただいているという歴史ある財団であります。
 先日、財団の事務局から『大山健康財団45年のあゆみ』という2019年に発行されました財団創立45周年の記念誌を贈っていただきました。それを拝見させていただいて、沢山の研究者に助成していただいて改めてその歴史というものを感じさせていただきました。
 私自身は、この研究助成金で採択されたテーマというのは、口腔内に存在します歯周病の原因菌でありますFusobacterium nucleatumという菌が口腔癌の発症にどのように関わっているかを明らかにすることであります。特に口腔癌はインドでは全身の中では一番多い癌であります。インドの研究者と協力しましてFusobacterium nucleatumという菌がどのようにして口腔癌に関わるかというのを明らかにしたい。将来的には、口をきれいにするということが癌の予防になるということに繋げる簡易な方法として、発展途上国の多くの人を救えるんじゃないかというふうに考えております。
 この歴史ある大山健康財団から、このような素晴らしい助成をいただいて大変光栄に感じるとともに、この受賞を励みに研究を推進させていただきたいと思います。どうもありがとうございました。」と喜びの言葉と今後の抱負を述べられました。

r3_kenkyuujoseikin_juzousha.jpg
学術研究助成金を受けられた先生方(敬称略)

後列左より 津川 仁 中釜 悠 平川秀忠 三宅健介 
前列左より 芦田 浩 神谷茂理事長 工藤保誠 谷川和也 
r3_ooyamashou_zoutei
大山健康財団賞を受賞される浦部大策氏

大山健康財団賞を受賞し
挨拶される浦部大策氏
r3_urabedaisaku.jpg
大山健康財団賞受賞者浦部大策氏(右)
と神谷茂理事長(左)

 大山健康財団賞を受賞された浦部大策氏は、「この度は、このような栄誉ある賞を頂きまして、ありがとうございます。私が所属します、久留米市にあります聖マリア病院は、創立者の意志もあり、早くから途上国の医療協力に目を向けておりました。早々に病院の基本方針の中に海外医療協力推進を掲げ、1982年に始まったJICAエジプト・カイロ小児病院プロジェクトを皮切りに、現在まで約40年の海外協力の実績を積んでおります。初期にはJICAプロジェクトへの参加形式での活動が多かったのですが、2005年に自前のNGOであるISAPH (International Support And Partnership for Health)を立ち上げてからは、それまでの途上国医療支援の経験を基に、海外での災害時医療支援活動や自前の保健医療プロジェクトを実施してきました。今回の受賞の契機になったラオスでのビタミンB1欠乏症対策プロジェクトは、ISAPHがラオスで初めて実施した母子保健活動です。このプロジェクトでは、住民のビタミンB1欠乏の原因を突き止め、産褥婦のB1剤の補充を徹底することで患者を大きく減らす事が出来ました。また、このアプローチはその後ラオス国の保健政策にも取り入れられました。我々の組織は、欧米のNGOなどに比べると資金も人材も比較にならないほど小さなものです。しかし、これまでのプロジェクトの経験から、海外への支援は必ずしも規模が大きくないと参入できないものではなく、小規模団体であっても十分に関与できる余地がある事を実感しております。最終的に重要なのは現地の人が自分たちの問題を解決するための行動を支援する事であり、具体的には現地の問題を自力で解決できるようにするための人材育成です。欧米のNGOは、現地の問題解決のため現地にない物を与える現物給付的なアプローチを取る事が多いですが、我々はそれだけの資金を持っておりません。しかし見方によっては、現物給付は途上国の医療の問題を根本的に解決する事はできず、一時しのぎです。現地の問題解決に根本的に対応するためには、問題解決の論理や人材育成の方法など、ソフトウェアの提供が重要です。この点で、小規模団体でも十分に途上国支援に関与できる余地があると感じております。近年、ITの発達により益々世界が緊密に繋がってきております。これまで途上国と分類されていた地域も、急速に力をつけ、世界の様子は刻々と変化しております。しかし、日本では、日本国内の事情だけに目が向き、あまり海外の事に注目しない傾向が続いております。これでは日本は、近い将来世界潮流からおいて行かれます。今の段階からもっと海外に目を向け、医療においても海外の医療発展に積極的に関わっていくべきではないかと感じます。我々は一民間病院としてこのような活動を行っておりますが、一病院でも世界にどのような貢献ができるかを示したい、と考えております。そして、できればこのような活動に足を踏み入れる仲間の病院を増やしていきたいと考えております。まだまだチャレンジしていく予定ですので、引き続きご支援賜りますよう、宜しくお願い致します。本日は、栄誉ある賞の受賞、並びに挨拶の機会を頂きありがとうございました。」と感謝の言葉と今後の抱負を述べられました。

 大山激励賞を受賞された三好康広氏は、当日は国境なき医師団シエラレオネのMSF Hangha Hospitalでの医療支援のため帰国できないため、受賞挨拶をメールでいただき神谷理事長が代読されました。挨拶の中で「この度は、栄誉ある大山激励賞をいただけることになり、感激に堪えません。この賞を頂戴できるというお知らせをいただいた時は、正直本当にびっくりしました。
 私のアフリカとの関わりは、2006年に遡ります。学生時代にバックパッカーでアフリカ大陸を縦断中、途中のケニアで体調を崩した際に、たまたま知り合った家族の家に泊めてもらい、看病していただきました。実は彼らは南スーダンからの難民でした。厳しい暮らしの中での彼らのホスピタリティーに本当に心を打たれ、医師としてアフリカに戻って恩返ししたいと願うようになりました。アフリカで必要とされる分野は、主に感染症、外傷、産科であろうと思い、初期研修終了後に、内科を1年、整形外科を1年、産婦人科を3年勉強し、2016年にザンビアに移住し、現地で医師免許を取得の上、ジンバミッション病院で働き始めました。2021年より国境なき医師団に登録し、南スーダンで3ヶ月勤務し、2022年1月から1年の予定でシエラレオネに派遣され、現在に至ります。
 これまで本当に多くの方々に支えていただきました。まず長崎県の上五島病院、長崎医療センターのスタッフの皆様からのご指導のおかげで、医師として成長することができました。ザンビアで働くきっかけを作って下さったのは、TICOの吉田修先生でした。ザンビアで働き始めてからも、『世界ナゼそこに?日本人』という番組に出演させていただいたことがきっかけで、多くの方々に自分の活動を知ってもらうことができ、色々な面からサポートをしていただきました。運が縁を呼び、縁がまた新しい運を運んできてくれて、今の自分があるのだと、つくづく感じております。今後も、皆さまのお力添えを頂きながら、アフリカの母子保健の向上のために、精進して参りたいと思います。」と喜びの言葉と今後の抱負を述べられました。

 r3_takeutishou_zoutei.jpg
竹内勤記念国際賞を
受賞されるMarcello Otake Sato氏 
jpg
竹内礼子様より副賞を
贈呈されるMarcello Otake Sato氏
r3_takeutishou_aisatu.
竹内勤記念国際賞を受賞し
挨拶されるMarcello Otake Sato氏
r3_Marcello2.
左から 神谷茂理事長 Marcello Otake Sato氏と奥様とご子息

 
 竹内勤記念国際賞を受賞されたMarcello Otake Sato氏は、日本語があまり得意でないということで挨拶文を日本語に訳したものを会場で配付したうえで、母国語のポルトガル語で挨拶されました。挨拶の中で「本日は、竹内勤記念国際賞という栄誉のある賞をいただき誠に光栄です。心よりうれしく思っております。今回の受賞にあたりまして、ご推薦いただいた先生方に心より感謝いたします。また、これまで、そしてこれからも一緒に仕事をしていく仲間たちがいたからこそ、この受賞に繋がったものと思っております。
 私は大学卒業以来、寄生虫症、特に蠕虫によって惹き起こされる人獣共通感染症の研究に取り組んできました。医学分野で、寄生虫や他の感染症を考えるとどうしても人間中心主義になってしまい、感染症の全容を見ていないアプローチに偏ってしまいます。もちろん感染症の診断し治療をしていくことは重要ですが、地域の風土病であることが多い寄生虫感染症では、医学的アプローチのみを行うだけでは効果的かつ持続可能な対策はできないと研究を進める中で思うようになりました。竹内勤先生は、橋本イニシアチブにおいてグローバル寄生虫病対策を展開され、このパラダイムを打破する道を切り開かれました。
 タイ王国のマヒドン大学は、そのプログラムの中で重要な一役を担っております。私は長年マヒドン大学と共同研究を進めており、そのことで竹内先生が開かれた道をさらに発展させていければと強く思っています。現在、私はエコヘルスの観点から環境DNA手法を用いた寄生虫対策の研究に取り組んでいます。このアプローチにより従来の医学的なアプローチではなく感染症をより広く環境の中で考えることができ、寄生虫感染対策に新しい道筋をつけられるものと確信しています。今後も、次世代の研究者のために道を開き、新しい友情の絆を結び、地元の人々に力を与えることで、顧みられない熱帯病対策に貢献していきたいと思っています。改めて、大山健康財団、本日ご出席の方々、共同研究者の方々に深く感謝いたします。」と感謝の言葉と今後の決意を述べられました。
「受賞者挨拶」の後、大山健康財団賞受賞者の浦部大策氏による『記念講演』が行われました。(講演内容については最後段参照)

r3_heikaiaisatu.jpg
閉会の挨拶をされる遠藤弘良専務理事

 最後に本財団の遠藤弘良専務理事より閉会の挨拶があり、「本日、学術研究助成金並びに大山健康財団賞、大山激励賞及び竹内勤記念国際賞をお受けになられた先生方には改めて、心からお祝いを申し上げます。それぞれ賞をお受けになられた先生方が、この受賞を励みとして、益々ご活躍されることを、心から願っています。先程、受賞の先生方からの心強いお礼の言葉をいただきましたが、こうしたお言葉が当財団にとり事業をやって行く上で、何より大きな励みとなります。また、『記念講演』をしていただいた浦部大策先生には、誠に素晴らしい講演を有難うございました。途上国において、医療支援活動に励んでおられる先生のご苦労をお聞きし、改めて浦部先生のこれまでのご功労に敬服しています。今後とも、お身体を大切になお一層途上国への医療支援活動にご尽力いただきたいと思います。」と述べられました。。
 例年、この後「記念祝賀会」を催するところ、新型コロナウイルス感染予防ため残念ながら中止となったため、心残りのうちに散会となりました。

第48回大山健康財団賞受賞者
浦部大策氏による『記念講演』

― 海外における保健医療活動の経験 ― 

r3_kinenkouen1.jpg
「記念講演」をされる浦 部 大 策 氏

 私が勤務します聖マリア病院は、JICA(国際医療機構)が1982年から実施したエジプト・カイロ小児病院プロジェクトに参加して以来、海外医療協力活動を積極的に実施してきました。『国際社会への貢献』を基本方針に掲げ、今日まで様々な医療系のプロジェクトに参加してきました。職員を海外に派遣するだけではなく、院内ではJICAからの委託事業で集団コースを実施し、今日まで30余年で1500人の外国人研修員を受け入れています。2005年には、それまでの海外協力活動の経験を生かして病院独自の海外支援を展開すべくNGO組織ISAPH (International Support And Partnership for Health)を立ち上げ、以後、海外での災害時救援活動の他、ラオスやマラウィでの母子保健活動など、独自の活動を実施しています。一民間病院でこれだけ海外医療支援活動を実践しているところはなく、現在ではこの活動は当院の大きな特徴となっております。私は久留米大学小児科のローテーションで聖マリア病院に勤務していた時に、JICAが実施するパキスタン・イスラマバード小児病院プロジェクトに参加する機会を得、以来、中国やインドネシア、ウズベキスタンなど、様々な国でのJICA医療協力活動に参加してきました。これらの活動を通して、様々な事を学ばせてもらいました。 

r3_kinenkouen2.jpg

 ここで、ISAPHが海外で実施している医療協力について少し紹介させて頂きます。まずラオスでの母子保健活動です。ラオスはアジアで最貧国の一つとされており、WHOが出す各国の母子保健指標のデータではアジアの中でもとびぬけて悪い数値を示していました。一方で穏やかな国民性と安全な国内環境から、外国人にとって住みやすい環境と言われています。これらの事情から、ISAPHはラオスを最初の活動の場として選びました。
 実際にラオスに来てみると、保健課題は山積みで、正直どこから手を付けたらいいのかわからないくらいの状況でした。NGOを立ち上げ、自前で活動を実施する事にしたものの、一民間病院の限られた資金で欧米の巨大NGOのようなスケールの大きい活動ができるわけではありませんが、問題の大きさから、目標をしっかり見定めて行動しないと、とても成果に繋がる活動はできないと感じました。自分たちの力量も考えた活動論理を構築して行動する必要があります。我々はまず現地に入り、いくつかの村を回って、村で蔓延している病気や健康状況に関する情報収集を行いました。すると、生後数週間の乳児が沢山死亡している地域を見つけました。子どもの死に至った状況ついての話を聞くと、多くの子どもが非常に似通った死に方をしていました。
 そこで、国際機関が開発したverbal autopsyという手法を使って死因を分析したところ、ビタミンB1 欠乏症(脚気)による死亡が疑われました。ラオスでは、町の中心部にある市場を覗くと非常に多彩な食材が溢れんばかりに並んでいます。このような食材の豊富な所で、しかもまだ母乳栄養期の子ども達になぜビタミンB1欠乏症のような栄養欠乏が起こるのか疑問です。そこで、村々で実際に産後の褥婦が食べている食材を調べたところ、乳児死亡率の高い地域では、村に伝わるタブーのために出産後間もない女性が厳しい食事制限状態に置かれている事が判りました。タブーによって制限される食材の種類や制限期間は世帯によってまちまちですが、ある世帯では数か月に渡って特定の食材摂取が制限される事もあり、結果的に出産後の大事な時期に母親が非常に厳しい栄養制限に晒されている事がわかりました。ビタミンB1欠乏症は、ビタミンB1が補充されればすぐに症状は改善します。そこで我々は、農村部での母子保健活動の一環として産後間もない女性に必ずビタミンB1製剤を服用させる活動を導入しました。すると効果は覿面で、あっという間に乳児の死亡数が減少しました。その後、ラオスでは産後の女性にビタミンB1 を服用させることが国の保健政策の一つに取り入れられました。このような儀式や伝統習慣に起因した負の効果として、ビタミンB1以外にも栄養バランスや動物性蛋白摂取など住民の栄養摂取不足の問題があります。しかし、負の効果を解決するという目的だけで住民の現生活習慣を排除するような政策を出した場合、政策とは関係ない理由で死亡例が出現しても政策を導入したせいだと非難されかねません。
 そこで我々は現在、住民の伝統的行動には干渉せずに栄養の問題を改善すべく、昆虫食の普及にも取り組んでおります。昆虫を食す習慣はありますので、我々は蚕やバッタ、ゾウムシなどの昆虫を養殖する技術の開発を行っております。昆虫は、蛋白やミネラル、ビタミンなど様々な栄養素を含んでいて、人間の栄養源としては非常に魅力的です。我々が扱っているエリサンという種類の蚕は、その繭から作られる繊維は紫外線防止力を持っております。その蛹も食用として取り扱いが容易であり、今後栄養源としての普及を図っていきたいと奮闘しております。

r3_kinenkouen4.jpg

 
 次はアフリカ・マラウィで実施している5歳未満児の栄養改善活動について少し紹介させて頂きます。マラウィでは5歳未満児の栄養障害の割合が非常に高く、約5割が何らかの栄養障害状態にあると言われています。一般に子どもの栄養障害、と聞くと、原因として食料不足を想像してしまいますが、実際に都市のマーケットを訪れてみると多様な食材が豊富に並んでおり、とても食料不足が栄養障害の原因になっているとは考えられません。巷に食材が溢れていてもそれが子どもに届いていないから栄養障害児が多発するのでしょうが 、食料が子どもに届かない原因の一つとして、我々は母親の栄養に関する理解度が関係しているのではないか、と考えました。乳幼児の食事を作るのは母親ですから、母親がどのような食材を子どもに食事に食べさせようとするかがポイントになると考えるからです。
 UNICEFやUNFPなど、早くから子どもの栄養障害に取り組んでいる国際機関は、子どもの栄養障害を改善する活動の一つとして母親への栄養教育を柱の一つに据えています。しかし農村部では、計画している教育活動も思うように実践できていないのが実情です。そこで我々は、パイロット地域を選んで、母親の栄養に関する知識を高める事で子どもが多様な食材を摂取するように調理を促すプロジェクトを開始しました。しかし残念ながら3年間のプロジェクト活動で母親の知識は非常に向上したものの、栄養障害児の発現率は殆ど変化しませんでした。実際に村で子どもの食事を観察したところ、内容はプロジェクト開始前と変化なく非常にシンプルで、多様な食材が利用されているとは思えませんでした。

 そこで、子ども達が実際に食べている食材を客観的に把握すべく、24時間思い出し法で調べてみました。調査結果は、食物群を16群に分け、16角形のレーダーチャートで表現してみました。すると、非常に興味深い結果が得られました。調査対象地域では、ほぼ全世帯で同じ食物群の食材しか摂取しておらず、且つ摂取食材は殆どが自宅で収穫した植物性の食材で、動物性蛋白関係の食材はほぼ全世帯で摂取されておりませんでした。乳幼児の栄養を評価する時には食物群を7つに分けて表現した情報(MDD:Minimum Dietary Diversity)が使われるので、調査結果をMDDでみてみると、これも摂取されている食材は非常に限られていました。どの世帯でも、摂取されている食材は自作の作物が殆どでしたが、この結果を基に地域の農業の在り方を振り返ると、ほぼ全ての世帯で同じ作物が栽培されております。これはつまり、農民は自分たちの日常の食料を確保するための農業を行っているのであり、生計を立てるための職業的農業を営んでいるわけではない、という彼らの実生活を物語っている事に気づきました。また、農村部の生活の実情を見ると、道路は整備されておらず、まだ電気が無い地域も多々ありますから、村人にとっては地域中心のマーケットが食料調達の場所として機能していない事も想像できます。このような社会環境も住民の食生活に影響を与えているのでしょうが、結果的に村人は自作の作物以外は入手が容易ではない食材環境に置かれている事がわかりました。塩や油は購入していますが、それ以外の食材の殆どは購入調達していません。どの家庭も鶏などの小動物を飼っていますが、これらは家庭の財産として位置づけられているようで、食べる対象にはなっていないようです。

r3_kinenkouen9.jpg

 結局、マラウィの農村部は自家の限られた収穫物に依存した食材しか摂取できない食環境にあり、そのため子どもは食の多様性が確保できていない事がわかりました。言い換えれば、彼らの生活圏では『食の安全保障』が確立できていない状況にある事がわかりました。『食の安全保障』とは、人間に必要な食材が口に入る迄の過程、Availability(物が存在している事), Accessibility(入手の容易さ), Utilization(実利用)の3要素からなりますが、食の安全保障を確立するためには、この3つの要素を強化する事が必要です。このような事情が判ったところで、我々は、農民の生活圏の中で少しでも入手・調達可能な食材の種類を増やし、少しでも『食の安全保障』レベルが改善する事を目的に新規プロジェクトを開始しました。まず、新たな農産物の栽培導入を考えました。現在の食事に欠けている栄養源の補充となり、気候、土壌など栽培に適したもの、かつ市場での売買が可能な換金収入になる作物、などの基準で導入する作物を選び、現地に導入しました。また、新しく手に入るようになった食材も、住民に利用してもらわなければ意味がありませんから、新規導入した食材を使った料理レシピの紹介を行いました。今の農家の台所環境で作れて、調理が簡単で、子どもが喜びそうな味覚、という点を考慮して村人に紹介するレシピを決め、村での調理実習を繰り返し実施しました。

 3年半の活動の結果、プロジェクトの前後で摂取されている食材の多様性に改善が見られ、子ども達の栄養障害児出現率にも改善が見られました。前回のプロジェクトでは、栄養の知識が増えても栄養障害の改善には繋がりませんでしたが、今回は、生活圏の中で手に入る食材を増やしたことで、以前よりも多くの食材が確保できるようになりました。その結果、子どもの栄養障害発現率は有意に減少しました。今後更に、動物性蛋白の摂取につながるような活動が導入できれば、栄養状態の改善は更に改善できるのではないかと考えられます。

r3_kinenkouen3.jpg

 ところで、我々が日常実施する活動には、ダム建設、学校建設などのように課題対象が実体的で、活動成果が明確に可視できるものもありますが、「人材能力開発」や「生活の質改善活動」などのように、手で触れる事も目で見る事もできない、抽象的な内容である事はよくあります。しかし、実体的な目標では活動の成果を目で直接確認できますが、抽象目標では実態が無いため、介入前後で対象に起こっている変化を把握するのが非常に難しくなります。今回の活動目標でも、’食の多様性を高める’という表現そのものではわかりにくいので、これを、摂取している食材の種類を、現在の~点から〇点にする、購入の必要な食材の購入点数を~点から〇点にする、など、取り組み課題の目標を具体的に表現して行きました。その結果、摂食している食材の多様性が増えている様子など対象が変化している様子が見えるようになり、活動前後での変化も明瞭になりました。このプロジェクトを通して、抽象的課題に取り組む場合、まず対象課題の今を客観的に表現し、活動投入で対象に起こった変化をモニタリング、比較できるように指標を設定する、など、論理構築が重要である、という事を改めて認識させられました。

 以上、我々のこれまでの活動、現在の活動について、足早に紹介させて頂きました。我々は小さな組織ですが、課題を客観的な指標で見える化し、解決の道筋の論理をしっかり構築して取り組めば、国レベルの課題であっても課題解決は十分可能と思います。今後も国際協力活動を継続し、他国の医療発展を支援していきたいと考えております。
ご清聴ありがとうございました。

  • 以 上