第 1回(1974年)~第10回(1983年) 第11回(1984年)~第20回(1993年)
第21回(1994年)~第30回(2003年) 第31回(2004年)~第40回(2013年)
第41回(2014年)~第50回(2023年)
第41回(2014年)~第50回(2023年)
(所属は受賞時の所属・敬称略)
回 年度 |
氏 名 | 所属・役職等 | 業績内容 |
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第41回 2014年度 |
川原 尚行 |
NPO法人/国際NGO法人 ロシナンテス 理事長 医師 医学博士 |
九州大学医学部大学院を修了後、外務省に入省され、タンザニア、スーダンに勤務された際、スーダンで病める患者を何とかしたいという強い思いを抱き、2005年外務省を退職され、スーダンでの医療活動を始められた。 2006年にはNPO法人ロシナンテスを設立されるや、年間3分の2はスーダンに滞在され無医村を中心とした巡回診療を行われるとともに、スーダン東部の村に診療所を立ち上げ、スーダン人の医療スタッフを配置して医療活動を続けられるなど、発展途上国での医療協力に多大なる貢献をされている。 |
第42回 2015年度 |
稲田 頼太郎 |
特定非営利活動法人イルファー 理事長 獣医師 HIV(AIDS)専門家 農学博士 |
研究者として就職されたアメリカ・コロンビア大学附属病院で1980年に当時まだ原因も治療法も分からなかった病気(後にAIDSと呼ばれる)に出会い、次々と命を落としていく患者を目の前にしてこの病気と闘うことを決意された。 1980年代後半から1990年代前半にかけてニューヨーク在住日本人感染者、患者のケアーにあたられ、1993年に日本でエイズ患者やHIV感染者の診療にあたる医師や看護師を養成するためにマイケル・ラング医師(感染症学研究部長)とともに「イナダ-ラングエイズ研究財団:ILFAR」を設立され、以後、100名以上に及ぶエイズ関連医療従事者の研修を行われた。 2000年7月にはケニア共和国ナイロビ市にあるスラム地区(プムワニ村)においてエイズ医療体制構築のため、地域住民対象の年2回の無料診療を、その支持者と共に始められ、感染者、患者、地域住民の教育を中心に感染予防のプログラムを2016年2月までに24回にわたり行われ、HIV感染者、患者を含む5万人以上の地域住民を診てこられた。2014年末には、日-ケニア国交50年を記念し、長年日本とケニアとの相互理解および友好の親善に寄与された功績で大使館表彰を受けられている。 また、自費で1年のうち2ヵ月間の無料診療支援を始められ、10年間続けられた後、定年目前でアメリカの病院を退職され、ケニアに完全移住されて2010年に診療所をオープン、無料で診療支援を行っておられる。2006年、ケニアにおいても無料の抗エイズ薬の入手が可能になり、患者、感染者への治療情報の提供、服薬指導などにも尽力されている。 |
第43回 2016年度 |
一盛 和世 |
長崎大学熱帯医学研究所フィラリアNTD室 ディレクター 長崎大学 客員教授 元 世界保健機関(WHO)世界フィラリア症制圧計画統括責任者 Ph D |
永年に亘り世界保健機関(WHO)に勤務され、顧みられない熱帯病(Neglected Tropical Diseases:NTD)の一つであるリンパ系フィラリア症(LF)の制圧、根絶に多大な貢献をされている。 特に、WHOによるLFの世界制圧計画は、一盛氏の活動成果などを基礎として策定されたもので、グローバルレベルでの産官民学パートナーシップによって人類の一大事業として制圧目標へと歩みを進めている。 さらに、WHO退職後も、今なお世界LF制圧計画のもとに、2020年までの目標を達成するべく拠点の一つとして長崎大学熱帯医学研究所にフィラリアNTD室を開設され、かつて蔓延していたLFを根絶することに成功した日本の経験を活かし、人材の育成に尽力されている。 |
第44回 2017年度 |
吉田 修 | 特定非営利活動法人TICO 代表理事 (TICO:Tokushima International Cooperation) 医療法人 さくら診療所 理事長 医師 |
永年に亘りアジア医師連絡協議会(現在はAMDA)のスタッフとして日本での臨床の傍ら様々な途上国支援、自然災害や紛争地への緊急支援(イラン震災やレバノン空爆、パプアニューギニア津波、ルワンダ内戦、モザンビーク帰還難民支援)に携わられた。1993年に「徳島で国際協力を考える会」(後にTICOに改称)を設立され、1995年よりザンビアの地域保健医療活動に関わり、1997年よりTICOとして本格的にザンビアでの活動を開始された。1999年には医療法人さくら診療所を開設され、国内での臨床の傍ら「国際協力を続けたい」という医療関係者の育成にも尽力されている。この間、ザンビア首都での救急隊設立や、農村部のプライマリーヘルスケアプロジェクトを10年以上支援され、カンボジア首都での救急隊設立や地方都市での公立病院の救急医療技術支援に10年以上携わられている。現在は、医師、臨床工学士から構成されるチームで、ザンビア医師による心臓外科手術実施の実現に向けた技術指導を行っており、ザンビア保健省、ザンビア大学医学部付属教育病院からも大きな期待がかけられている。こうした現地活動にかかる費用は、徳島での診療活動や農業活動と、TICOを始め吉田氏の活動に賛同する方々からの寄付収入やボランティア活動で賄われている。 |
第45回 2018年度 |
澤田 貴志 | (認定)特定非営利活動法人 シェア=国際保健協力市民の会 副理事長 神奈川県勤労者医療生活協同組合港町診療所 所長 医師 |
澤田貴志氏は、医学部卒業後、一般内科医としての研鑽、診療の傍ら、民間組織(特にシェア=国際保健協力市民の会)のボランティア活動に参加、特に社会的弱者を対象にした診療、国際協力を行ってこられた。長年にわたり、主にNGOを通じ日本と途上国にまたがる感染症対策の課題を中心に活動を展開されてきた。在日外国人への医療支援とその研究活動では、貴重な働きを継続され、結核とエイズに関しては、他に類を見ない働きをされ、多くの医療関係誌にその発信もされている。結核予防会の外国人相談事業でも、来日後発症した外国人結核患者の医療に関し、20年以上にわたり、講習会等での講師、アドバイザー、機関誌への寄稿などの貢献をされ、結核病学会をはじめ諸学会でも外国人医療に関する貴重な学術的発表を続けられている。常に民間人の立場で、弱者の立場に立ち、地道にかつ献身的な働きをされる姿勢は、行政機関を含む多方面から信頼と尊敬を受けておられる。また4つの大学で、国際保健学や外国人医療に関する講義を担当、人材育成にも尽力、最近は外国人医療相談・医療通訳に関するテキスト編纂にも関わり、実践と学術のバランスを兼ね備えて仕事をされる貴重な存在となっている。 1991年、フィリピン・ピナツボ火山噴火後スラムに入り、現地NGOや住民と連携し、医療を受けられず多くの人たちが命を落とす現場で活躍された。現地ソーシャルワーカーの「世界は繋がっている。あなた達が日本に公正な社会を作らないといつまでもフィリピン社会は影響を受け続ける」という言葉に衝撃をうけ、帰国後、病院で門前払いを受けて命を落す外国人の実態を見て覚悟を決め、シェアが開始した在日外国人の健康支援活動に参加された。以来医師・理事として中心的役割を担い25年以上無料健康相談・結核検診やエイズ・結核患者の相談対応に尽力されてきた。1991年外国人を含む社会的弱者に寄り添う「港町診療所」に入職し、2006年より所長を務められている。シェアのタイでのHIV陽性者支援に理事として25年携わり、タイ王国大使館名誉医療アドバイザーとして在日タイ人の医療支援を15年行われている。また、「MICかながわ」理事として医療通訳育成に15年以上尽力され、東京都の先駆的取組み「結核患者治療服薬支援員(通訳)養成・派遣事業」には開始時から10年以上協力され、外国人医療・医療通訳に関するテキストも発行されている。 |
第46回 2019年度 |
狩野 繁之 | 国立研究開発法人 国立国際医療研究センター(NCGM)研究所 熱帯医学・マラリア研究部 部長 医師 医学博士 |
狩野繁之氏は、国立国際医療研究センター(NCGM)の研究者として、アジア太平洋地域の発展途上の国々で、長年マラリア対策の医療協力に尽力されている。特に、1998年、橋本龍太郎首相が「国際寄生虫対策」をG8サミットで提唱された、いわゆる「橋本イニシアチブ」を受け、竹内勤慶應義塾大学医学部教授と共にそのプロジェクトをタイ・マヒドン大学で立ち上げられ、学校保健を基盤としたマラリア対策に5年間にわたりJICA短期専門家として関与され着実な成果をあげられた。その後も、マヒドン大学熱帯医学部(FTMMU)とのマラリア対策に関わる共同研究を続けられ、NCGMとFTMMUの包括的共同研究協定(MoU)締結の成果を上げられて、橋本元総理が2003年に授与されて以来の「名誉博士号(熱帯医学)」を2018年に授与された。また、同年、フィリピン大学とNCGMでMoUを締結されたほか、ラオス国立パスツール研究所だけでなく世界パスツール研究ネットワークとのMoU締結も先導され、広く世界の発展途上国のマラリア対策に資する研究基盤を形成された。 |
第47回 2020年度 |
遠田 耕平 | 秋田赤十字病院診療科 予防接種センター長 健診部副部長 秋田大学大学院医学系研究科公衆衛生学講座 非常勤講師 秋田大学医学部 名誉助教授 非常勤講師 医師 医学博士 Ph.D. |
遠田耕平氏は、1993年から1996年まで世界保健機関(WHO)の医務官としてベトナムにおいてポリオ根絶に従事されたのをはじめ、2001年から2003年にはインド、ネパール、ミャンマーにおいてもポリオ根絶に尽力された。 また、2003年から2009年にはカンボジア、2009年から2015年にはベトナムで予防接種計画に従事され、2016年から2018年にはフィリピンで定期予防接種の充実、ポリオ根絶、麻疹、風疹、新生児風疹症候群、B型肝炎、新生児破傷風、日本脳炎、細菌性髄膜炎、ジフテリア、百日咳、などのワクチン接種とサーベイランスに尽力された。 さらに、ポリオ根絶が宣言されたベトナムで、1996年までの3年間、WHO職員として取り組まれた実績が評価され、2001年、日本政府がインドにあるWHO南東アジア地域事務所へポリオ対策で派遣した初めての職員となられた。 |
第48回 2021年度 |
浦部 大策 | 聖マリア病院 国際事業部 部長 医師(小児科専門医) 医学博士 |
浦部大策氏は、1986年より社会医療法人「雪の聖母会」の海外事業の牽引者としてJICA関連の保健医療プロジェクトにおいて、医療の専門家としてのみならずプロジェクトの運営管理全般に携わり、途上国における病院の医療の質の向上に多大なる貢献をされた。 特に 聖マリア病院が草の根レベルの国際協力を推進するため設立したNPO法人ISAPHにおいて理事としてラオス及びマラウイの農村部の母子保健活動の技術的な指導にも力を注いでこられた。中でも、母子の栄養状態の改善において、現地政府の保健ワーカーを育成し、住民を対象とした健康教育に加え農業や食用昆虫養殖などの多面的なアプローチにより栄養改善を図り、 ラオスで多発していたビタミンB1欠乏症による乳児死亡を激減させたことは、ラオス政府より高く評価されている。 また、1996年のJICAパキスタン・イスラマバード小児病院プロジェクトにリーダーとして従事されたのをはじめ、中国ポリオ根絶活動、インドネシア、ウズベキスタン等における多くのJICA関連のプロジェクトにおいて、保健医療の専門家として尽力された。 |
第49回 2022年度 |
仲佐 保 | (認定)特定非営利活動法人 シェア=国際保健協力市民の会 共同代表理事 医師 国際公衆衛生学修士 |
仲佐保氏は、医学部卒業後、国立病院医療センターの外科医としてのカンボジア難民医療援助を皮切りに、国際緊急援助隊の設立に深く関与されるとともに、当時のNGOシェアの一員としてエチオピア飢餓被災民援助では、飢餓の中、感染症に苦しむ被災民の診療を行われました。1986年には、国立病院医療センターに創設された国際医療協力部の一員として、ボリビア、パキスタン、ホンジュラスとJICA技術協力プロジェクト専門家として長期に派遣され、途上国における地域医療を通じて住民の健康増進に貢献されました。その後は、国際医療協力を目指す日本人の育成やアフリカの感染症対策、アジアの地域保健医療プロジェクトの運営に従事され、2018年には、コンゴ民主共和国の保健省次官顧問として派遣され、エボラ出血熱流行対策に貢献されました。同時にNPOシェアの一員として、タイおよびアフリカのHIV/エイズ対策プロジェクトへのアドバイスをされました。以上のように、仲佐医師は官民を問わず、日本の国際医療協力の基礎づくりに貢献され、40年近く現場の実践を基にこの分野をリードする存在である。 |
第50回 2023年度 |
小林 潤 | 琉球大学大学院 保健学研究科長/医学部 保健学科長 国際地域保健学教室 教授 日本国際保健医療学会 理事長 国際学校保健コンソーシアム 理事長 NPO法人メータオ・クリニック支援の会 代表理事 医師 医学博士 |
小林 潤氏は、学校を基盤とした感染症対策の国際的推進並びに難民・貧困僻地等における脆弱性のある人々に対する長年の健康改善に関する草の根人道支援活動及び政策提言の両面から長年寄与され、これらの成果は国際学術雑誌へ数多く発表されている。 特に、2008年にはミャンマー難民への保健医療支援としてNPO法人メータオ・クリニック支援の会を設立され、15年間にわたって継続して草の根の人道支援活動を実施されるとともに2021年のミャンマー軍事クーデター直後には、難民に保健医療分野で直接支援できる唯一の団体として、タイ・ミャンマー国境地帯の避難民20万人を対象に大型プロジェクトを展開された。さらに、小林氏が2010年に設立された国際学校保健コンソーシアムは、国際的なシンクタンクとして広く認められ、アジアのハブとなっているとともにWHO等の国際機関を支援する等の国際的政策策定を行い、同時に研修コースを運営し低中所得国の人材育成にも寄与されている。 また、新型コロナウイルス・パンデミック当初から感染症対策の過度な強化は生徒へのメンタルヘルス上の副作用に至ることを警告され、アジア太平洋地域での学校閉鎖の早期取りやめに繋げられたほか、パンデミック後の学校保健政策の再構築の指針も示された。 |