大山健康財団賞受賞者一覧(第21〜30回)

第 1回(1974年)~第10回(1983年) 第11回(1984年)~第20回(1993年)
第21回(1994年)~第30回(2003年) 第31回(2004年)~第40回(2013年)
第41回(2014年)~第43回(2016年)

第21回(1994年)~第30回(2003年)

(所属は受賞時の所属・敬称略)


年度
氏 名 所属・役職等 業績内容
第21回
1994年度
西田 尚紀 金沢大学
名誉教授
1959年金沢大学医学部微生物学教室の教授に就任後、特にクロストリジウム(有芽胞嫌気性グラム陽性桿菌)の毒素研究に専念し、国内外の斯界の指導者として活躍された。また、青春時代より中国への想いが強く、1984年第1回のChina-Japan International Congress of Microbiology(上海シンポジウム)を開くに至り、同会議は回を重ねること5回に及んでいる。両国の微生物学研究のかけ橋として重要な役割を果たした。
第22回
1995年度
長尾 榮治 国立療養所
沖縄愛楽園
園長
ハンセン病の隔離政策は、長い間、多くの患者やその家族に筆舌に尽くしがたい苦難を与えてきた。1995年には氏が中心となって「らい予防法見直し検討会」は厚生省に同予防法の廃止を提言し、そしてそれが実現した。医師としての生涯をかけてハンセン病と取り組み、その活動は国内のみならずインド、タイ、フィリピンにまで及んでいる。
第23回
1996年度
赤井 契一郎 杏林大学
名誉教授
ケニア中央医学研究所感染症対策プロジェクトは長期間(1990年7月より1996年5月)にわたる大型プロジェクトであった。その間各分野の専門家がこのプロジェクトのため交替で参加した。そのまとめ役のチームリーダー・赤井博士の完成に至るまでの尽力は多大のものであった。
第24回
1997年
原 稔 JICA中国ポリオ対策プロジェクト長期ウイルス学専門家 ポリオの専門家として、JICA中国ポリオ対策プロジェクトに参加し、のちに中国予防医学研究所に赴任し、ポリオウイルスのための実験室の設置と中国の人たちの技術的指導に全力を傾注した。また、臨床、疫学関係者に対して実験室診断の重要性への意識向上に努めて、その業績は高く評価される。
第25回
1998年度
宮城 一郎 琉球大学医学部
教授
1966年来長崎大学及び琉球大学において医動物学、とくに熱帯病の伝播者である蚊科の研究に専念した。野外研究の足跡はフィリピン、インドネシアなど東南アジアの各地から東アフリカ、タンザニアに及び、ほとんど毎年のように現地において媒介蚊の生態を克明に追及し、マラリア、デング熱など熱帯病流行の解明と予防に大きく寄与した。
第26回
1999年度
建野 正毅 国立国際医療センター国際医療協力局派遣協力第二課
課長
国際医療協力の専門官として、東南アジア、インド、アフリカ、中南米の発展途上国に赴き職務に尽瘁した。特にブラジル国北部レシフェのペルナンブコ大学免疫病理学センターの設営にあたっては恩師故浅見敬三教授の遺志を成就した。
第27回
2000年度
堤 可厚 杏林大学医学部
客員教授
1962年より30数年間にわたり、東南アジア(7カ国)、中南米(5か国)、アフリカ(9カ国)にてマラリア、エイズ、エボラ出血熱などの感染症の研究、技術協力をするかたわら、ボランティアとしてアフリカ僻地の学校、孤児院、診療所、自動車修理工場、難民キャンプの建設にたずさわる。日本国内では、熱帯病専門家の育成のほか、国際交流の分野で活躍している。
第28回
2001年度
青木 克己 長崎大学
熱帯医学研究所
所長
1968年長崎大学医学部卒業後、同大学熱帯医学研究所において寄生虫学を専門に数々の研究業績を挙げた。その成果はわが国の寄生虫学の進歩に多大の貢献をもたらすと共に海外とくにアフリカ、中南米など発展途上国において地域の流行病、住血吸虫症、糸状虫症などの制圧に大きく寄与した。
第29回
2002年度
村上 一枝 カラ=西アフリカ農村自立協力会
代表理事
人々が病気で苦しまない生活を送れるようにとの願いから、長年マリ共和国の農村に住み、地域の保健衛生の向上に尽力した。その活動は医療の普及ばかりではなく、生活改善や職業指導にまで及び、人々の自立に大きな成果をあげた。
第30回
2003年度
亀崎 善江 医療法人敬愛会
新田原聖母病院
医師
1983年からフィリピンの無医村で度々医療奉仕活動を行い、その後も新田原聖母病院内科に勤務する一方、危険を覚悟で定期的に東ティモールを訪問し、各地でマラリアや下痢、呼吸器疾病などで苦しむ人々への医療奉仕活動を続けてきた。その間、入院施設のない同地域に、初期の外科的処置や予防医療などが可能な第1次医療施設を建てるためにも尽力し、その活動はAFMET(東ティモール医療友の会)による「リフェラル・センター」の開設という形で結実した。