令和2年度贈呈式

 去る3月15日(月)午前11時30分から霞が関コモンゲート西館37階の霞山会館(東京・霞が関)において令和2年度の公益財団法人大山健康財団の贈呈式が開催され、第47回学術研究助成金、並びに第47回大山健康財団賞、大山激励賞及び第3回竹内勤記念国際賞が贈呈されました。なお、出席者全員に検温・手指消毒・マスク着用を御願いし、椅子の間隔を空け、演台には全てアクリル板を設置した中で贈呈式は行われました。

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受付風景
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式次第
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贈呈式会場風景
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贈呈式会場風景

 「開会の挨拶」で、本財団の神谷茂理事長より「本日は令和2年度の大山健康財団の贈呈式に、新型コロナウイルス感染症対応の緊急事態宣言延長下にもかかわらず、多数の皆様方にご臨席を賜りありがとうございます。昨年度は、新型コロナウイルス感染対応のためこの贈呈式を開催することができませんでした。従って、本日の贈呈式は是非とも対面式で開催したいという強い思いがありましたので、本日の贈呈式の開催に至った次第です。新型コロナウイルス感染予防のための対策を徹底して開催していきたいと思いますので、ご理解並びにご協力の程お願いいたします。また、例年このあとの記念祝賀会で各賞を受賞された先生方、学術研究助成金を受贈された先生方、皆さんで親しく懇談することを楽しみにされておられましたが、やはり3密回避、ソーシャル・ディスタンシング、さらには、こうした場所で多人数が会食するのは避けなければいけないということでございますので、残念ながら記念祝賀会は中止とさせていただきました。」と感謝とお願い並びにお詫びの言葉を述べられました。
 続いて神谷理事長より、学術研究助成金、大山健康財団賞、大山激励賞、竹内勤記念国際賞の選考経過が報告されました。

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開会の挨拶ならびに選考経過を
 報告される神谷茂理事長

 令和2年度第47回学術研究助成金は、62件の応募申請の中から選考委員会で厳正なる審査・選考の結果、特に優れた10件の研究課題に対し学術研究助成金各100万円を贈呈することに決定したもので、神谷理事長より10名の受贈者に学術研究助成金総額1000万円が贈呈されました。
 令和2年度の第47回大山健康財団賞については4件、大山激励賞については3件、第3回竹内勤記念国際賞については1件のそれぞれ候補者の推薦があり、選考委員会で厳正なる審査・選考の結果、大山健康財団賞には「WHOの医務官としてベトナム、インド、ネパール、ミャンマーでポリオ根絶、カンボジア、ベトナムで予防接種計画に従事され、フィリピンで定期予防接種の充実、ポリオ根絶と共に、麻疹、風疹、新生児風疹症候群、B型肝炎、新生児破傷風、日本脳炎、細菌性髄膜炎、ジフテリア、百日咳、などのワクチン接種とサーベイランスに尽力された。」ことが高く評価され、遠田耕平氏が受賞者に決定し、大山激励賞には「HIV高蔓延国のザンビアの農村部を巡り、HIVや結核の治療を拡大するシステムを開発し、オペレーショナル・リサーチとしてとりまとめ、国際エイズ学会やWHO Bulletinなどに報告され、その成果がザンビアの保健省にも認められ、地方部にHIV治療を広げるための方法として、プロジェクトの手法をベースに『国家モバイルARTガイドライン』が出版された。」ことが高く評価され、野崎威功真氏が受賞者に決定し、第3回竹内勤記念国際賞には「ラオスにおける住民のマラリア受療行動の研究が、現在は標準となっているPublic-Private Mix(公的医療機関だけでなく、民間の薬局・薬店も疾病対策に活用)導入の必要性を支持するエビデンスとして世界保健機関(WHO)の戦略文書にも引用されるなど、政策策定にも多大の貢献をされている。」ことが高く評価され、野中大輔氏が受賞者に決定したもので、神谷茂理事長より大山健康財団賞を受賞された遠田耕平氏には賞状、記念メダル及び副賞100万円が、大山激励賞を受賞された野崎威功真氏には賞状と副賞50万円が、竹内勤記念国際賞を受賞された野中大輔氏には賞状と副賞30万円がそれぞれ贈呈されました。

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学術研究助成金受贈者
代表挨拶の塚本健太郎氏
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学術研究助成金を受けられた先生方(敬称略)

後列左より 塚本健太郎 八田岳士 日根野谷淳
前列左より 今井 孝 河部剛史 神谷茂理事長 君塚善文 久留島 潤

 学術研究助成金受贈者を代表して挨拶された塚本健太郎氏は、「この度、この大山健康財団の学術研究助成金に採択していただいたことを大変光栄に思っている。この財団の名に恥じぬよう自身の研究に取り組んでいき、この財団の歴史に繋がるような成果を出せるよう邁進して参りたい。この1年間、私たちの生活環境は一変し、私自身ができるような研究環境もかなり変わった。これからも、この難しいような状況、困難な状況もあるかと思うが、何とか研究は滞らせることなく、今回採択いただいた研究課題に取り組み、確りと成果を出していきたい。」と喜びの言葉と今後の抱負を述べられました。

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大山健康財団賞を受賞される遠田耕平氏

大山健康財団賞を受賞し
挨拶される遠田耕平氏
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大山健康財団賞受賞者遠田耕平氏(右)
と神谷茂理事長(左)

 大山健康財団賞を受賞された遠田耕平氏は、「今回の受賞にあたり、先日、事務局より直接お電話をいただき、正直とても驚いた次第で、何かのお間違いではないでしょうか?と聞き返したくらいである。過去の受賞者を拝見すると、私の師と尊敬する先生を始め知人、友人の名もあった。みな一応にフィールドに異常なまでもこだわって仕事をした方が多く、その末席に加えていただけることを嬉しく感じる。フィールド、フィールドと云っても、実は私一人では何一つできない。言葉の壁はもちろん、現場の衛生局、病院、村に入るすべての許可とアレンジを現地保健省のカウンターパートがやってくれる。それで初めて私は患者を追い求めて、国境、スラム、山岳、離島まで行くことができた。私の敬愛する作家に近藤紘一さんという方がいる。『サイゴンから来た妻と娘』という有名な著書を残した方で、1980年、今から40年前、その近藤さんがちょうどサンケイのバンコク支局長だった時、大学を飛び出してカンボジア難民キャンプに来ていた私は、そこで出会った友人たちと近藤さんの家に押し掛けたことがあった。その時友人の一人が“偏見はどうやったらなくなるのですか?”と近藤さんに質問した。すると近藤さんは少し沈黙してから“偏見はみんなの心の底にあるからなくならない。でも一瞬にしてなくなる時がある。それは自分が弱って、困って、現地の人に助けられたときだ。”と。私はその時からその言葉を大事に、ずーっと今まで現地の人たちに助けられてやってきた。この賞はその彼らと、家族、友人たちにいただいたものだと思い、間違いではなく、有難くいただく。」と支援者への感謝の言葉と今後への決意を述べられました。


大山激励賞を受賞された野崎威功真氏に
代わって賞状を受けられる奥様の寿南様 

大山激励賞受賞者野崎威功真氏の
受賞挨拶を代読される奥様の寿南様

大山激励賞受賞者野崎威功真氏の奥様の寿南様(右)
と神谷茂理事長(左) 

 大山激励賞を受賞された野崎威功真氏はカンボジアに出張中とのことで、奥様の寿南様が野崎威功真氏の受賞挨拶を代読されました。挨拶の中で「この度は素晴らしい賞を賜り、身に余る光栄である。本来、会場にてご挨拶申し上げるべきところ、昨年10月より保健政策アドバイザーとしてカンボジアに赴任しており、新型コロナウイルス感染拡大防止も考慮し、名誉な機会に大変残念ではあるが、家族に代読を頼むこととした。これまで任国で相手国政府のカウンターパートと取り組んできたことを認めていただけたと、嬉しく思う一方で、身が引き締まる思いてある。私の活動に理解を示し、不便の多い開発途上国の生活や、転居・転校の多い生活に耐え、支えてくれた家族に、感謝したい。本財団の名誉に泥を塗ることのないよう、今後もたゆまず活動と研究を続けてまいりたい。」と喜びの言葉と今後の抱負を述べられました。

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竹内勤記念国際賞を
受賞される野中大輔氏 
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竹内礼子様より副賞を
贈呈される野中大輔氏
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竹内勤記念国際賞賞を受賞し
挨拶される野中大輔氏
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竹内勤記念国際賞受賞者野中大輔氏(中)
と竹内礼子様(左)神谷茂理事長(右)

 竹内勤記念国際賞を受賞された野中大輔氏は、「竹内先生は、橋本イニシアチブの生みの親である。橋本イニシアチブによって、わが国の国際寄生虫対策に関する技術協力が国家戦略として海外で展開された。私は、竹内先生が構築された橋本イニシアチブのネットワークの下で、これまで仕事をさせていただいた。竹内先生は雲の上の存在であり、お話しする機会は限られていたが、表裏のない辛口のコメントをいただくことがほとんどだったが、一回だけ褒められたことがあった。論文の一つが発表された時に、eメールで“you have done a quite good job. Keep doing this kind of field research.”とあった。とても嬉しかったことを憶えている。先生がまかれた種を我々が育て収穫し、さらに種をまいていくことで、竹内先生の偉業・研究資産を引継ぎ、発展させていくことが我々の使命であることを、この度の受賞を通して再確認した次第である。」と感謝の言葉と今後の決意を述べられました。

「受賞者挨拶」の後、大山健康財団賞受賞者の遠田耕平氏による『記念講演』が行われました。(講演内容については最後段参照)

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閉会の挨拶をされる
中里 博 常務理事

 最後に本財団の中里博常務理事より閉会の挨拶があり、「本日、学術研究助成金並びに大山健康財団賞、大山激励賞及び竹内勤記念国際賞をお受けになられた先生方には改めて、心からお祝いを申し上げる。それぞれ賞をお受けになられた先生方が、この受賞を励みとして、益々ご活躍されることを、心から願っている。先程、受賞の先生方からの心強いお礼の言葉をいただいたが、こうしたお言葉が当財団にとり事業をやって行く上で、何より大きな励みとなる。また、「記念講演」をしていただいた遠田耕平先生には、誠に素晴らしい講演を有難うございました。途上国において、医療支援活動に励んでおられる先生のご苦労をお聞きし、改めて遠田先生のこれまでのご功労に敬服している。今後とも、お身体を大切になお一層途上国への医療支援活動にご尽力いただきたい。」と述べられました。
 例年、この後「記念祝賀会」を催すところ、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言再延長に伴い残念ながら中止となったため、心残りのうちに散会となりました。

大山健康財団賞受賞者
遠田耕平氏による『記念講演』

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「記念講演」をされる
遠 田 耕 平 氏

 
 始めに5分間、簡単に僕の40年の軌跡を駆け足でお見せします。この写真、僕が今から40年前に大学を飛び出してカンボジア難民キャンプに行ったときのもの。国際赤十字委員会(ICRC)の下で働いていた日赤のチームに合流し雑用をさせてもらい、一緒に撮ったものです。僕の原点と言える一枚です。その後なんとか医者になり、外科医、病理医として10年日本にいましたが、35歳でロンドン大学に留学してからこちらの受賞者でもある蟻田功先生の助言を受け、今盛んにテレビに出ている尾身茂先生の下でWHOポリオ根絶の仕事を、ベトナム南部で始めます。これは僕のフィールドの原点です。4年後3人の子供たちの学校のために一時帰国しますが、そのあとこちらの理事でもある当時厚労省の結核感染症課の課長だった遠藤弘良先生のご尽力で、当時最もポリオの流行の激しかったインドのWHOインド事務局でポリオ根絶の仕事を3年間やります。その後カンボジアに移り、ポリオだけでなく麻疹、B型肝炎、日本脳炎、新生児破傷風などの予防接種全般のサーベイランスとワクチン導入で走り回る貴重な体験をし、6年間過ごします。その後、再びベトナムへ赴任、今度はハノイを中心とする北部を中心に、ポリオ、麻疹、B型肝炎、日本脳炎、H1N1、ワクチン検定機関の設立、さらには麻疹のワクチン製造を北里研究所から技術移転して、JICA,WHOのコラボレーションで完成させました。ここでも6年。その後はフィリピンに3年いて定年になりましたが、フィリピンはジフテリア、日本脳炎のサーベイランスによるワクチン導入に加え、デングワクチンの問題、ワクチンの供給不足、麻疹やポリオの変異株の流行、さらにスラムや紛争地での仕事もあり忘れられない地です。そして日本に帰国してまだ2年半、新しい任地で頑張っております。

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 さて、ここからが今日の本題「Sapiens, living with viruses 人類はウイルスと生きてきた。」です。スライドにあるように600年以上前の大航海時代に新大陸の人口を10分の一にまで減らしたと言われる天然痘と麻疹、100年前のスペイン風邪、そしてこの20年を振り返るだけで数年ごとに新たなウイルスの出現があり、今回のコロナです。数年後に現れる次なるウイルスは? ここで忘れないでいただきたい同僚がいます。2003年ベトナムの医務官だったカルロウルバニです。SARSを最初に報告し、自らも感染してその3週間後に亡くなった男です。医師として感染症と向きあうべき姿をはっきり僕らに見せてくれました。 

次に疾病根絶の話をします。「人類は感染症を根絶できるのか?」 この問いに対する一つの答えの示したのがWHOの天然痘根絶計画です。大戦後の東西冷戦の世界の中、ワクチンの世界基準もない中で、1960年代、蟻田功先生らのWHOチームは大変な苦労をして、質のいい、耐熱性のワクチンを不足なく供給し、サーベイランスと封じ込めで1976年のソマリアの症例を最後に1980年に根絶宣言を出します。成功のカギは何か? 根絶の基本3条件は、①人間以外の生物には感染しないこと。②いいワクチンがあること。③目に見える急性感染であることです。その他に感染力が限定していること、ワクチンが熱に強いこと、変異が少ないこと等、スライドにあるようです。天然痘はこの条件すべてを満たしています。次にこれを僕が実際に関わって根絶の仕事をしてきたポリオ(小児麻痺)と麻疹と比べてみます。ついでにコロナウイルスも。 ポリオは経口の優れたワクチンがあり簡単に巨大な人口に接種できる利点があり、世界ではワクチンの一斉キャンペーンで一気に減少しました。しかし、不顕性感染が200倍あり患者を追いきれないこと。生ワクチン由来の変異株(VDPV, Vaccine Derived Polio Virus)が出現し、最後の一歩で足踏みをしている状態がこの20年続いています。麻疹はすべての条件を満たしているように見えますが、感染のスピードがどのウイルスよりも速いので、格段に高い95%以上の接種率が求められます。そのため先進国では成功しましたが、世界の人口の3分の2を占める途上国では数年に一度の流行を繰り返し、今もその状態で根絶へはまだ道半ばです。コロナは有効性の高いワクチンができた以外は今のところどこにも当てはまらず、根絶とは無縁だとわかります。

ポリオ根絶の現状を僕が働いたインド、カンボジア、ベトナム、フィリピンとスライド見ながらお話します。先に述べたポリオの冠絶条件の問題はありますが、それに加えインドのポリオがなかなかなくならなかった最大の原因の一つ。それはワクチン拒否でした。インドの人口の一割、1億人以上の人口を占めるイスラム教徒の人たちが、ポリオのワクチンを飲むと子供ができなくなる、これはヒンズー教政府の策略だと言ってワクチン拒否を始めたのです。これを改善するためにイスラムの長老(イマム)と女性のボランティアーの助けを借り、一軒一軒訪ねて回り、家の中に入って子供を探す根気強い仕事をしていきました。インドの減少が見えてきたころ、カンボジアとベトナムでは先に述べた生ワクチン由来の変異株(VDPV)が人から人に感染する事態に遭遇します。フィリピンではマニラ、さらにミンダナオ島からマレーシアまで島づたいに伝搬して広がりました。この変異株の対策もやはり生ワクチンの投与です。しかし、生ワクチンを使えばまた変異が起こるリスクを抱えるというジレンマに陥りました。現在WHOは遺伝子操作で作った変異の起こりにくい生ワクチン(nOPV2)を作り、2019年と2020年に第1相、2相の臨床試験を終えた段階で、WHOは緊急使用を認める緊急承認をしました。さてポリオの根絶は成し遂げられるでしょうか?

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 麻疹の根絶は優れたワクチンに支えられてきましたが、大きなハードルがあります。それは注射器が必要なこととウイルスの感染スピードが桁違いに早いせいで100%近いワクチン接種率が求められることです。アメリカ、ヨーロッパ、そして日本も根絶にこぎつけましたが、途上国では大きなチャレンジです。麻疹の発生は大幅に減少しましたが、今も数年おきにアフリカ、アジアを中心とする途上国で数十万単位の流行が止まりません。カンボジア、ベトナム、フィリピンの麻疹の流行では大きな病院で100人単位で子供たちが短期間に亡くなる悲劇を見てきました。その原因は独自の調査で麻疹ウイルスによって弱まった免疫状態に他のウイルスや細菌が重複して感染することが多いとわかりました。フィリピンでは1年前に600人以上の子供が麻疹で亡くなりました。さらにミンダナオ島ではISと国軍の間に戦争状態が起こり、30万人以上の避難民が出て、そこでも麻疹が流行しました。根絶の道は遠く、何とか定期予防接種を通して高いワクチン接種率を上げ、少しで患者数を減らす努力を今も続けています。

 最後に「Baby Come BAK」の1分ビデオを見てもらいます。これはフィリピンの保健所で政府の問題でワクチン供給不足が続き、お母さんたちが保健所に来なくなり、接種率が大幅に下がりました。そこでお母さんたちに保健所に戻ってきてもらうべく、フィリピン人の踊りと歌の才能をフルに活用してプロのイケメン五人組(バクーナボーイズ)に、オリジナルの歌と踊りに載せたワクチンのメッセージをフィリピン全土の保健所に配給し、予防接種の信頼回復に努めました。と、まあこんなことまでやっていました。

 最後に、僕たちはこうやってウイルスと生きてきたし、これからも生きていく。コロナよりももっと大変なウイルスが近い将来にやってくることをはっきり確信しています。だとすると、今のコロナの流行の中で簡単に人間の絆が崩れ、経済が破綻し、教育が中断することがあっていいのか?と コロナはいろんなことを学ぶ機会を僕らに与えてくれているのかもしれない。これを乗り越えた後、またすっかり忘れてしまうのではなく、経済の無限の拡大を求めるのではなく、謙虚に地に足をつけ、つつましくとも持続性のある、人間の絆の強い社会に変化していかないといけない、そうなっていくと信じて、講演を終わらせていただきます。

  • 以 上