大山激励賞受賞者一覧(2016年~2022年)

1986~1995年度 1996~2005年度 2006~2015年度 2016~2022年度

2016~2022年度

(所属は受賞時の所属・敬称略)

年 度 氏 名 所属・役職等 業績内容
2016年度 町井 恵理 NPO法人 AfriMedico
代表理事
日本の伝統である置き薬のシステムをアフリカに応用することにより、保健施設へのアクセスが限られる遠隔地や貧困地区などの住民が医療サービスを継続的に享受できる体制を創ることに多大な貢献をされている。
このシステムは、薬剤師でもある町井氏の2006年から国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊員として2年間派遣されたニジェールでの経験から導き出された極めてユニークな活動であり、世界保健機関が推奨するDrug Revolving Fund(回転式薬剤供給制度)を一歩進めた形のビジネスモデルとして非常に自立発展性の高い方策といえる。
まさに町井氏のこのようなAfriMedicoの取り組みは、グローバルな潮流、特にユニバーサルヘルスカバレッジ推進の最先端を行く活動であり将来的にも大いに期待される。
2017年度 赤尾 和美 特定非営利活動法人フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPAN 代表       
ラオ・フレンズ小児病院 アウトリーチプログラムディレクター
看護師

1999年から2013年まで小児看護のスペシャリストとして要請を受け、カンボジア国シェムリアップのアンコール小児病院(AHC)にて小児HIV患者の検査、診療、訪問看護などに従事された。
2009年には事務局責任者としてNPO法人フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPANを立ち上げられ、2011年よりNPO法人日本イラク医療支援ネットワーク(代表:鎌田実医師)からの要請を受け、イラクにてプロジェクトアドバイザーとして院内感染に対する視察・研修・評価・緩和ケアに関するレクチャーなどを実施されたほか、2013年にはミャンマーにて現地人によって運営される団体であるゴールド・ミャンマーへの支援を開始された。
2013年にAHCを退職されラオスに移住後は、ラオ・フレンズ小児病院の立ち上げに関わり、アウトリーチプログラムディレクターとして院内感染対策、医療活動支援、訪問看護、小児HIV感染症への医療支援などに尽力されている。
2018年度 公文 和子 ケニアの障がい児療育事業
「シロアムの園」代表       
医師(小児科) 医学博士 

公文和子氏は、もともとは小児科医を目指していた北海道大学時代に、NGOが主催したスタディツアーでバングラデシュを訪れたとき、現地で出会った子どもたちのきらきらした目を見て、自分が生涯を捧げるのはこの子たちだと直感されたことから、これから本格的に医師として活躍して欲しいという周囲の反対を押し切って、医局を離れる決断をされた。
その後、イギリス・リバプールで熱帯小児医学を学ばれ、先ず行ったのがシエラレオネで、難民キャンプにある国立病院に派遣されたが、2か月で体調を崩してしまい、最後はウイルス性出血熱などの疑いでドイツ・ハンブルクの病院に緊急搬送されてしまい、しばらくは挫折を感じ先が見えなくなったという。
その後、JICAのプロジェクトでケニアに行き、最初はHIV分野の研究所の人材の育成、コミュニティや医療施設におけるマラリア・HIV・結核対策、日本政府とケニア国保健分野への協力・他ドナーとの調整、保健システム強化などに取り組まれていたが、7年ほど過ぎたころ、もっと助けを必要としている子どもたちがいるのではないかという疑問が湧いてきて、この頃から障がい児に関わるようになる。
公文和子氏が最も力を入れられていたのは、チャイルドドクターというケニアにあるNGOで、スラムで巡廻診療をする小児科医として10年近く活動されている。その中から、テレビの取材で知り合った歌手のさだまさしさんが設立した「風に立つライオン基金」の協力もあり、2015年にケニアに障がい児とその家族に対する療育支援を行う施設「シロアムの園」を創立された。
ケニアは現在、高度経済成長で、効率性や生産性が重視され、これまで守られてきた弱者に目が行かなくなり、国のセーフティーネットも不十分で、障がいのある子どもたちへの満足な医療や教育も受けられない状況となっている。ケニアで障がい児が増える主な原因は分娩時にケアが足りないことにある。適切なタイミングで帝王切開を受けられなかったり出産直後の黄疸の処置が悪かったりしたことで障がいが残る子どもたちが増えている。
社会的な弱者の権利擁護を進める「アドボカシー」という考え方があるが、障がいのある子どもを持つ家族が声をあげ、必要な医療や教育を受けたり、差別や偏見が減り、必要以上に気を遣わないで生きていける社会を夢見て、公文氏は日夜尽力されている。
2019年度 名知 仁子 特定非営利活動法人 ミャンマー ファミリー・クリニックと菜園の会(MFCG)
代表理事
医師 

名知仁子氏は、ミャンマー連邦共和国の無医村で巡回診療を行う傍ら、自らNPOを設立され、医療・菜園を通じ保健衛生・栄養などを学ぶ機会を提供し、住民自身が生活環境の課題を解決し、命を育む未来を描ける社会の実現に向けて多大な貢献をされている。活動地域であるミャウンミャは、西南部のデルタ地帯・エーヤワディ地方区の一地域で無医村が多くあり、病に苦しみながらも貧しさから病院へ行けない人たちも多く、この問題を解決するためには、医療だけではなく、コミュニティの健康を目指す活動が不可欠となることを認識された。ミャンマーの人たちと同じ目線に立ち、彼らの問題を一緒に考えながら目標の実現に向けて具体的に三つの活動、即ち「巡回診療」、「保健衛生指導」、「家庭菜園支援」を展開し定着するよう尽力された。
2020年度 野崎 威功真 国立国際医療研究センター国際医療協力局保健医療開発課
長崎大学大学院熱帯医学・グローバルヘルス研究科
客員准教授 
医師 医学博士

野崎威功真氏は、2007年より3年間、JICA長期専門家としてHIV高蔓延国のザンビアの農村部を巡り、HIVおよび結核の治療を拡大するシステムを開発された。
こうした成果をオペレーショナル・リサーチとして取り纏められ、国際エイズ学会やWHO Bulletinなどに報告され、さらにその成果がザンビアの保健省にも認められて地方部にHIV治療を広げるための方法としてプロジェクトの手法をベースに「国家モバイルARTガイドライン」が出版された。
また、2013年よりミャンマーにおいてHIV、梅毒、肝炎、結核などの検査の質の改善や輸血の安全性向上などを通じた感染症対策の強化にも取り組んでこられた。
これら活動の成果を国際学会や国際誌に発表され、さらにその成果が国家ガイドラインやWHOガイドラインに取り込まれるなど、政策面でも大いに貢献された。
2021年度 三好 康広 国境なき医師団(シエラレオネ MSF Hangha Hospital)
医師(産婦人科専門医) ザンビア医師免許取得

三好康広氏は、ザンビア南部州ジンバ地区にあるジンバミッション病院において 医療設備や体制が十分とはいえない環境の中、無給のボランティア医師として、現地に移住してまで地域医療の向上に尽力された。
 2006年、長崎大学医学部在学中のアフリカ横断の旅で経験されたことがきっかけで、途上国での医療ボランティアを志され、帰国後は産婦人科が専門であったにもかかわらず内科、外科 何でもこなせる医師を目指して医学研修に励まれ、2016年5月にザンビアの医師免許も取得されるなど、ザンビアへの医療協力に並々ならぬ努力とボランティア精神で貢献してこられた。
特に、2020年3月にWHOがパンデミック宣言をした新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大が懸念される中においても現地に留まり、診療活動を続けられた。
2022年度 神白 麻衣子 特定非営利活動法人ジャパンハート 副理事長 ジャパンハートカンボジアこども医療センター 院長
医師(総合内科専門医・プライマリケア認定医・厚労省認定臨床研修指導医)

神白麻衣子氏は、医療が届かない場所に医療を届ける事を強く信念として志し、学生時代にも積極的に在日外国人医療相談会や野宿者支援ボランティア活動に参加された。また、国際医療協力を志し、医学部を卒業後、医療人材や設備が十分でない離島・へき地医療やプライマリケア、救急医療を学び、その間も他団体のフィリピンでの短期医療ミッションに数回参加された。その後、日本で勤務されていた病院を退職され、無償のボランティア・スタッフ医師としてジャパンハートの活動に参加された。
2004年に吉岡秀人氏が設立した「国際医療奉仕団ジャパンハート」(当時)は、ミャンマーの「ワッチェ慈善病院」で医療活動を開始し、現在は、日本国内はもとよりカンボジア、ラオスで活動を展開している。
神白氏の決して十分とは言えない人員と設備の中、様々な苦労をいとわず14年もの間継続してミャンマー、カンボジア、ラオスで患者の命と真摯に向き合う姿は、多くの医師、看護師を含むスタッフ、患者とその家族に勇気を与えている。さらに現地の医療に長年携わってきた経験を生かし、これまでに約20人のカンボジア人医師を育成する中で、神白氏が持つ医療技術に加えて、優れたホスピタリティを伝え、医療従事者の育成にも尽力し続けられている。これからもアジアへの医療貢献が大いに期待される。