平成30年度贈呈式

 去る3月14日(木)午前11時30分から霞が関ビル35階の霞ヶ関東海倶楽部(東京・霞が関)において、平成30年度の公益財団法人大山健康財団の贈呈式が開催され、第45回学術研究助成金、並びに第45回大山健康財団賞、大山激励賞及び本年度新たに創設された第1回竹内勤記念国際賞が贈呈されました。

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式次第
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贈呈式会場風景

 贈呈式は、本財団神谷茂理事長の開会の挨拶で始まり、続いて理事長より学術研究助成金、大山健康財団賞、大山激励賞、竹内勤記念国際賞の選考経過が報告されました。

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開会の挨拶ならびに選考経過を
 報告される神谷茂理事長
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司会の岡田護理事

 平成30年度第45回学術研究助成金は、77件の応募申請の中から選考委員会で厳正なる審査・選考の結果、特に優れた10件の研究課題に対し学術研究助成金各100万円を贈呈することに決定したもので、神谷理事長より10名の受贈者に学術研究助成金総額1000万円が贈呈されました。
 平成30年度の第45回大山健康財団賞については5件、大山激励賞については4件、第1回竹内勤記念国際賞については1件のそれぞれ候補者の推薦があり、選考委員会で厳正なる審査・選考の結果、大山健康財団賞には「一般診療の傍ら民間組織であるシェア=国際保健協力市民の会のボランティア活動に参加され、特に社会的弱者を対象にした診療、国際協力に尽力されたのをはじめ、長年にわたり、日本と途上国にまたがる結核、エイズ等の感染症対策の課題を中心に活動を展開されるとともに、在日外国人への医療支援に尽力されている」ことが高く評価され、澤田貴志氏が受賞者に決定し、大山激励賞には「ケニアのNGOチャイルドドクターで、スラムで巡廻診療をする小児科医として10年近く活動されたのをはじめ、2015年にケニアに障がい児とその家族に対する療育支援を行う施設『シロアムの園』を創立され、障がい児とその家族に寄り添う医療支援活動をされている」ことが高く評価され、公文和子氏が受賞者に決定し、第1回竹内勤記念国際賞には「ラオス保健省と共に同国における大規模マラリア・フィールド調査により、無症候性キャリアーの発見、アルテミシニン耐性マラリアの拡散状況の詳細な把握、並びにサルマラリア原虫のヒト感染症例をラオスで初めて報告されるなど、長年発展途上国で熱帯医学、寄生虫学の領域において果たされた功績」が高く評価され、石上盛敏氏が受賞者に決定したもので、神谷茂理事長より大山健康財団賞を受賞された澤田貴志氏には賞状、記念メダル及び副賞100万円が、大山激励賞を受賞された公文和子氏には賞状と副賞50万円が、竹内勤記念国際賞を受賞された石上盛敏氏には賞状と副賞30万円がそれぞれ贈呈されました。

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学術研究助成金受贈者
代表挨拶の金城雄樹氏
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学術研究助成金を受けられた先生方(敬称略)

後列左より 村瀬千晶 山本祥也 橋本宗明 西村知泰
前列左より 井上信一 金城雄樹 神谷茂理事長 齋藤良一 橘真一郎 邱永晋
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大山健康財団賞を受賞される澤田貴志氏
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大山健康財団賞を受賞し
挨拶される澤田貴志氏
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大山健康財団賞受賞者澤田貴志氏(左)
と神谷茂理事長(右)

 学術研究助成金受贈者を代表して挨拶された金城雄樹氏は、「大山健康財団は、45年もの長い間、国民をはじめ人類の健康のために、研究を助成していただいている歴史ある財団ですので、今回このような素晴らしい助成をしていただいて大変光栄である。この受賞を励みに研究をさらに頑張っていきたい。」と喜びの言葉と今後の抱負を述べられました。
 大山健康財団賞を受賞された澤田貴志氏は、「この大山健康財団賞は、私個人にではなく、感染症対策が国境を超えて繋がっているので、そういった日本の動向に対して、激励の意味でくださったと考えている。この励ましを胸に、これから、より多くの現場の皆さんと協力を結びながら感染症対策を進めていきたい。」と支援者への感謝の言葉と今後への決意を述べられました。

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大山激励賞を受賞される公文和子氏 
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大山激励賞を受賞し
挨拶される公文和子氏
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大山激励賞受賞者公文和子氏(左)
と神谷茂理事長(右) 

 大山激励賞を受賞された公文和子氏は、「大山激励賞をいただいて、本当に喜びで一杯である。私は代表でいただいたが、本当に一つひとつの出会いに感謝している。シェアという団体で初めて海外に出た。これがまた一つ大きな出会いだった。そして特に『シロアムの園』という療育事業をケニアで立ち上げたが、こちらも本当に多くの子どもたちとの出会い、家族との出会いが私のこの事業を始めるモチベーションになった。そして一緒にその子どもたち、ご家族と歩んでいる毎日に励まされている。子どもたち、そしてそのご家族、そして引いてはケニアの社会が本当に優しく障がい児を受け入れて行く、そんな社会になって行くことを願っている。」と喜びの言葉と今後の抱負を述べられました。

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竹内勤記念国際賞を受賞される石上盛敏氏 
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竹内礼子様より副賞を
贈呈される石上盛敏氏
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竹内勤記念国際賞賞を受賞し
挨拶される石上盛敏氏
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竹内勤記念国際賞受賞者石上盛敏氏(中)
と竹内礼子様(左)神谷茂理事長(右)

 竹内勤記念国際賞を受賞された石上盛敏氏は「私たちが今行っているラオスでの活動というのは、決して私ひとりでやっているものではなくて、多くの方々のサポートによって行われている、その一つのメンバーでしかない私がこういう賞をいただいて非常に恐縮している。本来であれば、5年間のプロジェクトがもうすぐ終わって、4月末に平成と共に終わるが、終わった時点で竹内先生にお礼とご報告をと考えていた。ちょっと違った形ではあるが、竹内先生に評価していただけたのかなというふうに思っている。私は、保健医療分野で働かせてもらっているが、やはり感じるのは教育が非常に大事だなと。なので、先ずは、事業も大事であるが、教育が非常に大事だなと感じている。そして教育の成果を出すのは非常に時間がかかる。家族を大事に、コミュニティを大事に、そして自然と調和した生活をしているラオスの方々から我々学ぶことというのは非常に沢山あるのではないかなと感じている。これを励みに頑張って行きたい。」と感謝の言葉と今後の抱負を述べられました。

「受賞者挨拶」の後、大山健康財団賞受賞者の澤田貴志氏による『記念講演』が行われました。(講演内容については最後段参照)

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閉会の挨拶をされる
中里 博 常務理事

 最後に本財団の中里博常務理事より閉会の挨拶があり「本日、学術研究助成金並びに大山健康財団賞、大山激励賞及び竹内勤記念国際賞をお受けになられた先生方には改めて、心からお祝いを申し上げる。それぞれ賞をお受けになられた先生方が、この受賞を励みとして、益々ご活躍されることを、心から願っている。先程、受賞の先生方からの心強いお礼の言葉をいただいたが、こうしたお言葉が当財団にとり事業をやって行く上で、何より大きな励みとなる。また、「記念講演」をしていただいた澤田貴志先生には、誠に素晴らしい講演を有難うございました。途上国において、医療支援活動に励んでおられる先生のご苦労をお聞きし、改めて澤田先生のこれまでのご功労に敬服している。今後とも、お身体を大切になお一層途上国への医療支援活動にご尽力いただきたい。」と述べられました。引き続き、受賞の先生方を囲んでの『記念祝賀会』に移り、本財団の原隆昭評議員長のお祝いの言葉と乾杯で始まり、盛会のうちに散会となりました。

祝 賀 会 会 場 風 景
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祝辞を述べられる
原隆昭評議員長
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司会の中里常務理事
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乾杯をされる原隆昭評議員長
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大山健康財団賞受賞者 澤田 貴志 氏 による『記念講演』
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 それでは貴重なお時間をいただきましたので、私の方からこれまで取り組んできたことと言いますか、私たち色々な方たちとネットワークの中でどんなことをやってきたのかということを少しご紹介させていただきたいと思います。
 その前に、私がそういった特に外国人の感染症対策に係ることになったきっかけをご説明させていただくと、ピナツボ火山が噴火して現地に行ったのですが、その噴火の被災地だけではなくて、途上国の貧しいスラムの健康状態が余りにも酷いということで、これはマニラ首都圏にある、都心にあるスラムなんですけれど、ゴミ捨て場と海と工場と墓場に囲まれた小さな所に大勢の方が住んでいます。子どもたちはこういった所からゴミを拾って家計の足しにしている。
 そんな中で出会ったのが、一人の男性なんですけども、見ていただくと髪の毛は真っ白で、手もしわしわでどう考えてもこのお子さんのおじいさんというふうに見えますが、実はお父さんなんですね。この年月の年齢が私の現在の年齢よりも15歳ぐらい若い。40代でこのしわしわになって、私が60近いけども変だと言う人もいますが、この方がこういう状況になってしまったというのは、結核が原因ですね、当時、医療が整っていませんので、保健所に行って無料で抗結核薬を貰えるはずなのに、2剤しか貰えず、2剤、薬を薬局で買って飲んでいるうちに、薬代が尽きてしまって、やめて2剤だけ飲んでいる。そして、恐らく多剤耐性結核になってもう治らなくなってしまうという状況だと思います。
 途上国には、こうやって経済的な理由で治らなくなってしまう結核患者さんも沢山いる。これは、この男性だけの問題でしょうか?このお子さん、今は咳も痰もありません。免疫が優って結核は発病していませんけども、20代になってお子さんを産んだ時、無理な仕事をして体が弱った時に結核が出てきますよね。その時はもう最初から多剤耐性結核ですから、この当時のフィリピンの医療体制では治療ができず、小さなお子さんを残してお母さんは亡くなっていくということが起きる。こうやって、世代を超えて感染症が貧困と病気を繰り返して行くということが起きている訳です。
 当時、フィリピンに行った時は、こういうことは途上国で起きている、途上国の可哀そうな人の問題なんだというように思ったんですけども、実は日本に帰って来て、直後、目にしたのがこの数字ですね。日本で結核を登録された外国人のうち、実に44%しか治療が完了していない。多くの方が途中でやめている。これは、当時、在留資格がなくて健康保険に入れない方が多くて、医療費が払えない、或はフィリピンの女性ですと、興業ビザということで、サービス業にカラオケとかバーとかそういったサービス業に配置されて、雇い主が管理をしていて、結核になるともう治療も受けさせずに帰してしまうというようなことが横行していた。 そういった中で、医療も助けてあげることが出来ず、無力であったということがございます。
 中には健康保険が無くてこういう状態になって、これは結核です。結核を半年放置して、病院に行ったんですけどもお金を払えなくて、我慢して咳止めを飲んでいたという方が来る。こんな状況が続いておりました。
 それで私たち、色んなNPOも同様のようなことをやっていたんですけども、こうやって外国人が集まっているところに出掛けて行って健康相談を受ける。1990年代ということが分かりますが、こうやって教会に行くと大勢の方たちが集まっているんですね。そこで相談が受けられると言うだけではなくて、私たち学んだのは、教会に行くとこういうボランティアの同国人の方たちがいるんです。この方たちが先ず相談を受けて、私たちとの間に立って、病気の方を病院に連れて行って、通訳をしてくださる。
 こうやって、コミュニティと一緒に、連携するということで患者さんを支援するということできるんだということを学びました。やがて、神奈川県ではこうやって県の国際課が医療通訳に予算をつけて、医師会、NPO、県との連携で医療通訳の派遣事業を始めるということで、全国の自治体でもこれは特異な事なんですけども、県が予算をつけて通訳の育成をして病院に派遣するということで、現在、60以上の県内の病院、各医療圏の病院は、各医療圏に1つ以上の病院が入って、こういった通訳体制ができて、病院側からの要請を受けて通訳派遣はどんどん増えている状況がございます。
 こうやって、公的に通訳さんがつくことによって、外国人の患者さん、勿論、結核に限らずに色々な患者さんが病院に行きやすくなってきているということがあります。ただ結核対策に関しては公衆衛生上も大きな課題ですので、そこについては東京都が2006年に外国生まれで日本語の不自由な患者さんに対して通訳をつけるという事業を始めまして、これを私共のNPOシェア=国際保健協力市民の会が通訳さんの育成と派遣を受託する形で、NPO連携で通訳派遣をしております。現在、15言語に広がっていますけども、こうやって患者さんの継続治療完了率を上げるということで、この事業を始めてから、80%以上が治療完了という形になっています。
 ところが、そうやって結核対策が一歩進んでいたんですけども、そこで大きな問題だったのがAIDSです。AIDSは結核と違いまして、医療費の補助が外国人の在留資格が無くなってしまった方とか、健康保険に入れないような短い在留資格の方については、医療費補助の対象になりません。それで、治療が長くかかるということで、医療機関にかかっても、AIDSだということがわかっても、医療機関が「自分の国に帰ったらどうですか」という対応しか出来なかったということがあります。新聞にはこういう形で医療忌避というように書かれましたけども、医療機関もどうしていいか分からず「自分の国に帰ったらいいんじゃないか」、自分の国では医療は受けられないということで大勢の方が亡くなる。在外大使館に相談が来たケースだけでも2004年度の下半期、半年だけで13人が病院に入院して、大使館の支援を求めて、病院から求められたケースが13件あって、そのうち7人が帰国できずに亡くなっている。これは病院に来た時点でもう重症で呼吸器をつけなければいけない。脳炎で意識が無い、そういった状態で重症化しての受診が多かったからですね。これは、当時もうAIDSは治療ができる病気になっていたのに外国人ではこうやって多く亡くなっている。そういうことであると、病院に行っても助からないんだということで、感染症の患者さんが病院に行かなくなります。病院に行かなければ当然、生活は変容されませんから、感染症は広がるということで、この問題は何とかしなければいけないということで、AIDSの研究班ができまして、こういった改善のモデルを作りました。それはとにかく、その方たちの分かる言葉で啓発をして、早めに病院にいっていただく。病院に行けば助かりますよというメッセージを出す。病院に行って本当に助けて貰えなかったら誰も行かないですよね。ですから、病院に行ったらソーシャルワーカーがいて、ソーシャルワーカーの所に通訳付きで必ず会うという流れを作りました。そうしますと、実は外国人の健康保険が無い患者さんのために日本の在留資格が復活できる方が少なからずいらしたんですよね。人身売買で日本に連れてこられた女性が何とか人身売買から抜け出して工場で働いていて日本人の男性と知り合って、事実婚状態になってお姑さんの介護までして、というような女性が一杯いるんです。そういった方たちについてはきちんと弁護士が付いて手続きをすると在留資格が認められます。
 ということで、日本で医療が受けられる方は確りと日本で医療が受けられる流れを作る。しかしそういった方は外国人の患者さんの1割も満たないですから、9割方の患者さんについては自分の国での医療を手配するということで、母国側の医療機関との連携を作ってきました。こうやって、これはタイのボランティアさんですけども、大使の集まっているところで啓発をしてくれる。
そして、こういったハンドブックを作ってソーシャルワーカーさんたちにどうやって支援したらいいかを伝え、そして私たちの事務所にいる保健師がソーシャルワーカーさんからの相談に対して丁寧に応えていくという形で医療の流れができていく。そして実際にこの方は、2004年にタイで治療して元気になった第1号の患者さんですけども、手紙を書いてくれている。「AIDSでも早く病院に行けば助かるんだ」と書いてくれたんですね。これがタイ語の情報誌に載ると、発病する前に受診をしてくださる方が増えまして、これは研究班と連携して診療していた私たちの診療所なんですけども、外国人のAIDS患者さんが、免疫の治療が、非常に下がった状態の、発病してかなりの症状が出てから来る人ばっかりだったのが、こういったプロジェクトを行って、発症前に来る方が殆どになったという数字です。それだけで改善した訳ではないですが、受診の意識に対する対策が行われるようになったこととか、受診側でも医療が改善したとか、色んな要素があって、タイ人のAIDSは3分の1以下、こうやって、対策を講じた多くの市で、日本でAIDSを発症する方が減りました。
 そして、じゃあ財源はどうするんだということですが、通訳体制を整えることで早めに病院へ行ってくださる方が増えます。あるいは、病院へ行って100万円かかりますよと言われたら逃げ出してしまった患者さんが、ソーシャルワーカーときちんと相談をすることで、分割払いをしているとか、そういったことが進む中で、神奈川県で医療費が未払いになって県が補填する金額というのは、年間2000万ほどあったものが、通訳体制を作ってから100分の1の平均19万に下がっています。こういった形で外国人の医療については、医療機関と患者さんだけで解決するのではなくて、NPOとか行政とか医療機関が連携して、健康相談をしたり通訳派遣をしたりしていく、そこに外国人自身のボランティアさんたちが入っていくことが有効だということが分かってきました。ここまでは、2000年代に私たち色々なネットワークに取り組んだ一つのサクセスストーリーだと思っていたんですが、実は、先があって、決してサクセスストーリーではないんです。
 こちらを見てください。結核の患者さん、2000年代、私たち頭打ちにできたと思って喜んでいたんですね。特に通訳体制ができた東京都は減少傾向かなということができました。ところが、2012年から急増しています。これは何ででしょうか?私たち悩みました。失敗しているんじゃないかと思いました。実は、原因はここなんです。日本に入国して働く外国人の中で技能実習生、それから資格外活動、留学生のアルバイトですね。日本語学校で勉強しながら、実態としては殆ど働いているような若者、こういったところが増えている。これは、本人たちが別に不法にやっている訳じゃなくて、日本の労働政策が、このころは日系人という非常に安定性の高いビザを持った人たちに頼る体制であったものが、近年、労働力だけ提供してもらって、3年、5年で帰って貰うような制度が出来て、そのためにここの人口が増えたんですね。この3年、5年で帰っていただく労働者に関しては、やはり言葉の支援が十分に行っていません。そして労働環境が厳しいので療休すると首になってしまうんじゃないかということで、病院になかなか行きたがらない。実際に病院に行ったために解雇されてしまった技能実習生とか、結核で皆勤していたって、外来で通院で治せるのに解雇された技能実習生がいっぱいいました。
 これは、やはり労働法上、解雇してはいけないんですけども、実態として解雇が横行している。これはやはり、言葉の支援がないので、患者さんが、借金をして日本に来てとても帰れない状況だなんてことを保健師さんも分からずに、雇い主は結核ということについて十分分かっていないので帰してしまう。ここをきちんと、通訳さんが入って、保健師さんが「外来で治せるんですよ。治ってまたちゃんと働けるんですよ。」ということを伝えることが出来れば、こういった解雇は無くなりますし、そして、患者さんも早めに掛かってくれるようになると思います。
 そういったことで、外国人の労働者に今後日本はどうしても頼らざるをえない、少子高齢化の中で外国人労働者が増えます。そういった時に、きちんと通訳をつけて、患者さんを治療関与までもって行ってあげるサポート、それが必要だと思います。しかしながら、現在、どちらかというと、外国人の医療対応は、旅行者ですとか、あるいは医療ツーリズムの富裕層に対する対応が先行してしまって、こういった生活がぎりぎりの働く人たちへの対応が十分できていないということがございます。中には医療機関の中にこれは残念なことですけども、「健康保険が無くなってしまった方は診療しませんよ」と表示をするようなところまですら出てきてしまった。こういったことが進んでしまいますと、先ず私たち心配なのは、感染症対策はうまくいきません。早目に相談をして、結核を排菌する前に治療に乗せるということがとても大事です。ですから生活が困窮した方、仕事が出来なくなって首になって、でも国に帰れないので、健康保険、ビザが無くなっちゃったような方を一旦受け止めて、日本が故国の治療に結び付けるということをして行く必要がある。そのために、外国人も懇切丁寧な対応が必要になる。そして、なぜこういった対応が必要かというと、やはり外国人であれば、十分な医療は提供されなくてもいいということが実態として進んでしまいますと、それは日本人の生活が困窮した方に対しても、医療がきちんとしたものではなくなってしまうといったことに繋がりかねません。
 90年代に非正規雇用の日系人が増えた中で、だんだん日本人の間でも非正規雇用が増えてしまった。ですから、医療が、誰にでも公平であったという原則を外国人だからということで崩してしまうと、日本の医療全体に影響があるのではないかというふうに懸念をしております。
 もう一つは、国際社会はこういった格差を作らない。何々人だからとか、男性女性の間とかそういったことで格差を作らないというSDGs(国連が定めた持続可能な開発目標)、誰一人として取り残さない社会を作るということに突き進んでいます。中にはイギリスのように、企業が色々なものを購入する、あるいは原料を購入するようなところでも不適切な労働があればその企業が罰せられる、融資を受けられないとか、商品が売れないとかそういったような制度がヨーロッパでは進んできています。そんな中で、日本で技能実習生の方が要求したからといって首になってしまうということが起きていると、日本の商品が売れないということも起きてしまいます。ですから、ここで外国人であってもきちんと治療をしていく体制を日本の医療が作るということがとても大事なことだと思っています。こういうSDGsが進められていますよね。
 そんなことがあって、日本は今、曲がり角にありますということを私たちチームでアメリカの私の後輩の医師に頼んで最終的には書いて貰ったんですが、ランセットに投稿しましたところ採用されて3月2日にランセット「日本の医療の外国人対応がまだまだである」ということが載りました。そして、こういったことを受けて今、病院のソーシャルワーカー、保健師さん色々な人たちが集まって勉強会を始めています。
最後のスライドです。感染症が突き付けていることは、私たちの社会に対して、改善する必要がある課題を投げかけていると思います。多様なひと、外国出身の方、LGBT、そういった多様な方たちが共生できる社会ですね、今、日本が作っていく、そのことがやはり健康的な日本の社会を維持するために大事であると、外国人の医療というものが、そういった日本の今ある課題を突き付けているんだと思っておりますので、これから、行政、医療機関、地域の多様な社会が連携して取り組んでいくことが大事だと思っております。
貴重な時間をありがとうございました。

  • 以 上